|
27.憎しみと怒り
燃え盛る炎に身を焦がしながらも、その女性は背筋を伸ばしてこちらを睨み付けていた。
美しい顔を壮絶な怒りに歪め、熱風に煽られて広がる金髪は炎の色と混ざり合って赤く映える。
1年前は親愛を浮かべて天流を見た瞳には、炎よりもさらに激しく燃える憎しみが宿る。
もう、昔には戻れないのだと。
今更のようにそれを突き付けられたような気がした。
行く手を遮るように立ちはだかった、かつては姉のようにも思っていた女性の憎悪の視線を浴びながら、天流は哀しみに満ちた瞳で彼女を見つめた。
■■■■■
明日までに500の船を用意してみせるという言葉通り、解放軍の軍師マッシュは竜騎士ミリアの竜スラッシュの力を借りて氷の船を作り上げ、解放軍は水上砦シャサラザードに攻め込んだ。
水上戦を制し、砦の機能を完全に失わせるために焼き払うべく、天流を始めとしたメンバー達は砦を護る水の流れを止めようと、水門を閉めに砦に乗り込んだ。
目的を果たして仲間達と合流しようと、来た道を引き返していた彼らの前に立ちはだかったのは、帝国将軍の一人ソニア・シューレンだった。
何故帝国を、テオを裏切ったのかと問い詰めてくるソニアの憎しみに満ちた表情は、天流に同行していたかつてのテオの腹心であるアレンやグレンシールの説得にも和らぐことがない。
一年以上の時を経て再会した二人の間には、埋めようもない大きな亀裂が出来ていた。
そんな彼らを嘲笑うかのように、砦内に炎が舞い上がる。
突然、まるで巨大な生き物のようにすべてを覆い尽くさんとばかりに燃え上がった火に、ビクトール等が驚愕の声を上げる。
「馬鹿な! 早過ぎる!」
天流達が砦内から出た後に火を放つはずだったのに、何故今炎が上がるのか。
とにかくこのままでは自分達が危ないと、未だ対峙する天流とソニアを半ば強引に連れて、ルックの風に護られながら彼らは出口を目指した。
「外で何かあったのかも知れねえな」
ビクトールの緊迫した呟きに、天流はすぐに軍主の顔に戻った。
何とか無事に砦より脱出することができた天流達が目にしたのは、胸からおびただしい血を流して倒れ伏すマッシュの姿だった。
その向こうではフリックが凄まじい剣幕で、サンチェスに剣を突き付けている。
現れた天流達に気付き、シーナが厳しい中にもほっとしたような表情で駆け寄って来た。
火の中にいた天流達に負けないくらい煤だらけとなった姿から、彼が燃え上がる炎を必死に消そうとしていたことが解る。
「ティル! 良かった、無事だったんだな」
「どうなっているんだ、これは・・・」
唖然と呟くビクトールの傍で、天流は言葉もなくマッシュを凝視していた。
リュウカンが懸命に手当てをしているが、流れる血は止まる気配もない。マッシュの顔からはみるみるうちに血の気が引いていった。
「サンチェス! 貴様ぁ、何故マッシュ殿を刺した? 何故油に勝手に火を放った? 答えろ!!」
激昂のまま責め立てるフリックに、あくまで静かな声でサンチェスが謝罪を口にする。
そして自分が皇帝陛下に仕える者であること、今まで解放軍を欺いてきたことを淡々と語り、自らスパイであることを明かしていく。まるでそれが誇りであるかのように、だが解放軍を好きになってゆく葛藤に苦しんだのだと語るサンチェス。彼は天流が解放軍に合流する前よりオデッサに仕えていた、古参の解放軍の一員だった。
しかし彼の忠誠はバルバロッサにあり、帝国軍に解放軍の情報を流して結果的にオデッサの命が奪われた。
今更、生き方を変えるのは難しいのだと言うサンチェスに、天流の両側から怒りの篭められた視線が注がれる。
「結局、自分の愚行を正当化したいだけじゃないの?」
「何が正しいのか、何年も解放軍に居ながら解んなかったのかよ。そういう古臭さが帝国の腐敗に繋がったんだろうが!」
ルックとシーナの厳しい言葉はサンチェスの痛いところをついたのか、彼はただ黙って俯いた。
信じていた者に裏切られた怒りと哀しみに、フリックの剣が今にもサンチェスに振り下ろされようとした時。
「待って下さい。今サンチェスを斬り、彼がスパイであったことが解れば解放軍の士気に関わります。彼の処分は後にして、今は軍を整え、すぐにもグレッグミンスターを目指すべきです」
痛みに顔を歪めながら立ち上がったマッシュが、苦しい息の中フリックを諌める。
「馬鹿なことを。マッシュ殿、貴方は重態なのですよ。今動けば命に・・・」
ふらつくマッシュを支えながら、リュウカンが厳しい口調でそう言った。
「この世の流れというものがあり、戦いには時期というものがあります。今この期を逃せば帝国を倒すことはできません! ティエン殿、ご決断を・・・」
そこまで言ったところでマッシュの体が傾ぎ、足元から崩れ落ちていった。
慌てて傍にいたハンフリー達が意識のない体を支え、リュウカンが険しい声で城に連れ帰るように指示する。
「ティル、大丈夫か?」
心配げに問い掛けるシーナの声にも天流は反応しない。
色を失った無表情のまま、言葉もなく立ち尽くす天流をシーナとルックは両側から手を添えて支えようとする。
他人からはいつもと変わらないように見えるが、二人の目にはあまりにも痛々しい姿に映っていた。
「裏切りか。ザマはないな」
アレンとグレンシールに挟まれて捕らえられているソニア・シューレンが嘲笑を浮かべた。
「大切な者を失う哀しみ、お前も味わうがいい!」
醜悪な呪詛のようなソニアの言葉に周囲が殺気立つ。
幾つもの険しい視線に晒されても流石は帝国将軍というところか、微塵も怯む様子がない。
シーナとルックは悪意に満ちた言葉と視線から天流を護ろうと、背中に隠すように立ってソニアを睨み付けた。
その場に残る兵達がどよめく中、天流は自分を護ろうとするシーナとルックの背から進み出ると毅然と声を上げる。
「帰還せよ」
シャサラザードの戦いは解放軍の勝利で終わった。
多くの帝国兵は次々に降伏し、解放軍に下る。
しかし将軍であるソニア・シューレンだけは最後まで抗い続け、トラン城に連行されても頑なな態度を崩さない。
軍主達の凱旋に歓声を上げる解放軍を見渡すソニアの目には、燃え盛る憎しみが揺らめく。
この者達に自分は、そしてテオは敗れたのか。
大切なものを、愛する人を奪った者達への怨嗟が渦巻く。
「ティエン、私をどうする気だ? 殺すならば早く殺せ」
唸るような低い声に天流は振り向きも答えもせず、無言で前を向いて歩を進める。
苛立ちのあまり唇を噛み締めるソニアは、アレンやグレンシールに捕らえられながらも今にも天流に襲い掛かりそうな雰囲気だ。
「聞こえているのか、天流!! 裏切り者は答える口も持たぬか? 私はこの身を貴様等のような蛮族に汚させはしないぞ!」
軍主を称える歓声の波を引き裂いて、ソニアの怒声が響き渡った。
瞬時にその場が静まり返る。
しんと落ちた静寂が数秒続いた後、再びざわめきが起こるが、それは先程までとは違うものだ。人々は軍主と、声を上げた女性を戸惑いや好奇を浮かべて見つめる。
「その人、黙らせば?」
ルックが冷めた目でソニアを見据えながらアレンとグレンシールにそう要求した。
二人は困惑し、とにかく天流達から離れようとする。
それを察したのか、ソニアは憎しみに燃える目に天流の姿を映して怒鳴った。
「テオ様を死なせたお前を、私は決して許さない!!」
「貴様!」
怒りに任せて剣を抜いたのはフリックだ。
彼はサンチェスへの怒りを抱いたままであったことも手伝って、激しい憤りを体全体に漲らせている。
それを制したのは静かな冴えた光を放つ琥珀色の双眸。
射抜かれて、フリックは渋々というように剣を鞘に戻した。
許されることならば、天流に怒りと憎しみをぶつけるこの女性の身勝手さを詰ってやりたい。
彼女の言動が如何に的外れで、愚かなものなのか。
しかし、天流はそれを望んではいない。
殺伐とした空気が漂う中、人込みを掻き分けてハンフリーの元に小さな少年が駆け寄ってきた。
「ハンフリーさん」と声を掛けられ、彼は不思議そうに首を傾げている少年、フッチを見下ろす。
「ねえ、テオって誰? 仇ってなんで?」
ソニアを見るフッチの表情は険しい。彼は天流を兄のように慕っているため、天流を責め立てるソニアに怒りを覚えているのだろう。
「テオ殿は、帝国五将軍の一人だ」
それが天流の父親だとは口にできなかった。年端もいかない子供には衝撃が強過ぎると慮ってのことだ。
だが天流とテオの関係は知らずとも、帝国五将軍のことは幼いフッチにも解る。
現状で帝国五将軍のうち三人が解放軍に身を置き、一人は彼の目の前に居るソニア・シューレン。そして、あと一人は、唯一解放軍に下らずに天流によって倒されたテオ・マクドールだ。
「・・・わかんないよ。何でティエンがあんなこと言われなきゃいけないんだ?」
純粋な疑問に答える声は無い。
フッチは込み上げる怒りのままに駆け出すと、大人達が止める間もなくソニアに向かって叫んだ。
「帝国軍は散々おれたちを苦しめたくせに、なんで皆を助けようとするティエンを責めるんだよ! ティエンは優しいのに! お前なんかが悪く言うな!!」
幼い子供だからこその直情さは、天流を憚って声を上げられなかった大人達の心を僅かながらも爽快にさせた。
殴り掛からんばかりに怒りを露にするフッチを驚きを浮かべて見ていたソニアは、美しい顔を歪め、まっすぐに睨み付けてくる子供から視線を外して眼を伏せる。先ほどまでの激しさは消えていた。
天流は暫し茫然としたあと、困惑を交えながらもフッチに優しい目を向けた。
その後、ソニア・シューレンは地下牢に投獄された。
深手を負ったマッシュは名医リュウカンの手で治療を施されたが、容態は芳しくないという。
マッシュの重態やサンチェスの裏切りの情報は一般の兵達には隠された。
悪戯に動揺を誘う真似は天流にもマッシュにとっても望むところではなかったからだ。それでも敏感な者は、漂う物々しさに何事かを感じ取ったかも知れない。
幹部達との戦後の会議を終えた天流は、報告書などを手にしたまま真っ直ぐにマッシュの部屋を目指した。
彼を心配したルックやシーナ、ビクトール、フリック等も続く。
マッシュの部屋の前では、扉に凭れて一人の少女が泣いていた。
思わず足を止めた天流達の気配に気付き、顔を上げた少女、アップルは涙に濡れた顔に怒りを浮かべた。
その様子に何かを感じ取ったのか、シーナが天流を追い越してアップルに近付いて行く。
「何しに来たのよ! あなたに先生に会う資格なんかないわ!!」
シーナが何かを言うより早く、アップルの悲鳴のような声が天流を責める。
しまった、と苦々しく顔を顰めたシーナがアップルを落ち着かせようとするが、彼女の目には天流しか映っていないようだ。
噴き出す激しい感情を抑えることなく、止めど無く涙を流しながらアップルは叫ぶ。
「マッシュ先生がこんなことになったのはあなたのせいよ!!」
「やめろって!」
シーナの声に怒りが滲む。
暴れるアップルを強引に押さえ付け、手で口を塞ぎながら扉から離れた。
入り口を塞いでいたアップルが退いたことでマッシュの部屋に入れるようになり、シーナは目線で「早く行け」と天流を促す。
立ち尽くしていた天流の背をルックが抱くように前に押し進め、室内へと押しやった。
シーナに口を塞がれても尚激しく抵抗し、唸るような声を上げ続けるアップルだがルックの冷たい怒りに満ちた視線を受けて真っ青になった。
怒りが恐怖に変わり、ガタガタと震えるのがシーナの手から伝わってくる。
歴戦の猛者ですらルックの怒りには背筋が凍るのだ。普通の少女が耐えられるはずもない。
「あんた、見苦しいよ」
冷たく言うなり、ルックは躊躇いもなく風の刃をアップルに向けて放った。
しかしそれは咄嗟に彼女を庇ったシーナやフリック、ビクトールを切り裂いてアップルには届かなかった。
「ルック!」
咎めるフリック達を馬鹿にするように一瞥し、ルックは何事もなかったように壁に背を預けて腕を組む。彼の視界はもはや、目の前の扉しか捕らえてはいない。
シーナは竦んで動けなくなったアップルを引っ張るようにして、この場を離れた。
二人が去った後には、重苦しい沈黙だけが降りる。
部屋の中で、マッシュは寝台に上体を起こした姿勢で天流を見ていた。
傍にはリュウカンの姿もある。
纏う服の大きく開かれた胸元の合わせから除く素肌には、白い包帯が幾重にも巻かれている。その胸元が、流れ出る大量の血液に赤黒く染められていた状態を思い出すと、天流は底冷えする恐怖に体が震えた。
「ティエン殿、シャサラザ―ドは落ち、帝都への道は開かれました。今こそ全軍を挙げて一気にグレッグミンスターまで攻め上るべきです。ティエン殿、進軍の命令をこの私に命じて下さい」
「医者として言わせてもらう。戦いにマッシュ殿を連れては行かせんぞ」
「そんなわけにはいきません。この私がここで戦いをやめるわけにはいかない」
血の気のない顔に揺るぎのない意志だけが強く宿り、この期を逃す手はないと、自分の今の状態など気にも留めていないような言葉が続く。
黙ったまま何も言わない天流の中の戸惑いに気付き、マッシュは苛立ちを見せた。
「ティエン殿! 貴方には、成すべきことがあるはず。何を迷われるのです」
ゆっくりと寝台の傍まで近付き、天流はマッシュを見下ろして縋るような哀しい表情を浮かべる。
マッシュはハッとして、険しさを消し去ると穏やかに語りかけた。
「私は以前に言いましたね。どのような犠牲を払おうとも、この戦いに勝つと。その犠牲というのは、この私をも含んでいるのですよ」
「・・・解った。明日にも進軍しよう・・・」
「ありがとうございます、ティエン殿。帝都に残る帝国軍の兵力は2万。それも死に物狂いで戦いを挑んでくるはずです。明朝、解放軍の全メンバーを集めてください。全軍の士気を高める必要があります」
こくりと頷くのを見届け、マッシュはリュウカンに視線をやる。
その意味をすぐに理解した老医師は、「少しの間だけですぞ」と言い置いて扉に向かった。
部屋にはマッシュと天流の二人が残された。
哀しげに視線を包帯に落としたままの天流に、マッシュは静かに声を掛ける。
「ティエン様。そんな哀しい顔をされないで下さい」
「マッシュ・・・すまない・・・。僕が貴方を・・・」
「それは違います」
続く言葉を強く遮る。
謝罪も、彼が己を責める言葉も聞きたくはなかった。
引き攣るような痛みを無視して腕を伸ばし、苦渋に満ちた幼さを残す頬を優しく撫でる。
「貴方がこれ以上、傷付くことが無きよう、願っていたのですが・・・。私自身が貴方を傷付けることになるとは・・・」
歪められた表情から、堪えきれない憤りが感じられる。
誰よりも大切で、誰よりも護りたかった主君。
これまで抱えきれないほどの傷を負った彼を、自分までもが傷付けてしまうことになるとは。
「貴方を置いて逝きたくはない・・・。貴方を一人にしたくない・・・」
いつも冷静なマッシュの目から、涙が一筋流れ落ちる。
マッシュの悲痛な呟きに、天流は初めてまともに彼を見た。
白を通り越して青くも見える顔に色濃く影が落ちて、一層彼を儚く見せる。
多くの生死の境目を目の当たりにしてきた天流には、今のマッシュの状態がどういうものなのかを見極めるのは容易だった。
だがそれが解るからと言って、何の慰めになろうか。
冷たくなっていく心を満たすのは、絶望と恐怖、そして喪失感。
嫌というほど味わってきた。
親友の死を目にして、もうこれ以上の哀しみは無いのだと思っていた。
なのに、まだ繰り返される苦痛。
残される者と、残して逝く者。
深く信頼し合っていた二人が、意志とは関係無く初めて大きく別たれてしまった。
マッシュの体に負担を掛けないように、天流は彼の肩口に顔を埋めた。
部屋を出たリュウカンは沈鬱な様子で立ち尽くすフリック達にマッシュの様子を問われ、重い口調で「長くはないだろう」とだけ告げた。
その瞬間、ビクトールとフリックの顔色が変わった。
苦痛に耐えるように奥歯を噛み締め、やり場のない感情を壁を叩き付けることで抑え込もうとする。
「なあ、ルック。紋章でマッシュを回復することはできないのか?」
「紋章には生死に関与する力は無い。せいぜい痛みを散らし、傷を塞ぐことで少しでも命を延ばしてやるくらいだよ」
「・・・見てるしか、ないってわけかよ・・・」
マッシュと天流のことを思うと、あまりにもやりきれなかった。
世の不条理に、彼らの中で目に見えない何かに対する激しい怒りが込み上げる。
「何で、あいつばかりがこんな目に・・・っ」
絞り出すように発せられたフリックの言葉。
またあいつは失うのか。
家族を失い、父を失い、親友を失い。
そして今度は最も信頼する者を失うのか。
それなのに、打ちのめされていく天流に追い討ちを掛けるかのように、ソニアやアップルは自分勝手な言い分で天流を傷付ける。
――テオさまを死なせたお前を、私は決して許さない!!
――マッシュ先生がこんなことになったのはあなたのせいよ!!
二人の女性から激しい罵声を浴びせられても、天流は眉一つ動かさなかった。
冷めているとも言える表情で沈黙を保つ天流を見る彼女達の顔は憤怒で色塗られていた。
お世辞にも美しいなどとはとても言えない表情に、フリック達は同情するより冷めたような気分で彼女達の醜態を眺めていた。ルックなどはあからさまに軽蔑を浮かべて。
彼女達の顔は激しい怒りと深い哀しみを湛え、声は悲痛な叫びとなって響く。
何も知らない者がその様子を見たなら、皆一様に彼女達に同情するだろう。
しかし実際はその場にいた全員が、ソニア・シューレンやアップルよりも天流の方にこそ同情を寄せた。
それも当然だろう。
彼女達が天流を責めるのは、まったくのお門違いなのだから。
だが、冷静さを失っている二人には何を言っても無駄だ。自分達が何を言っているかも解っていないに違いない。
天流を不当に責めるだけではなく、ソニアはテオを、アップルはマッシュをそれぞれ侮辱しているも同然なのだというのに。
天流のせいだと彼女達は言うが、実際テオ・マクドールもマッシュ・シルバーバーグも天流のために己の全てを懸けたのだ。
そんな二人の想いを彼女達は否定し、愛や尊敬の名の元の自己中心な解釈で彼らの生き様を貶めているに過ぎない。
未だに治まらない憤りに拳を握り締めたフリックだが、ふとある事に気が付いた。
自分が、彼女達とまったく同じことをかつて天流に対して行っていたということに。
今更ながら、当時の自分の行いに恥じ入る。
あの時のルックやシーナの怒りが、今ようやく本当に理解できた気がする。
謝罪の意志を込めてルックを見ると、険しい表情でマッシュの部屋の扉を見つめていた彼はふいに風をまとってその場から転移してしまった。
一瞬虚を突かれたフリックとビクトールだが、深く詮索はしなかった。
空と湖が夕日の色に染まる様を一望できる屋上で、シーナは泣きじゃくるアップルの背を優しく撫でていた。
天流への怒りと、ルックへの恐怖に混乱を来たしていたアップルも、シーナの慰めに少しずつ落ち着きを取り戻していく。
やがて自分の思考を取り戻すと置かれた状況に動揺し始め、慌ててシーナから身を離した。
「あなたもあの人の味方なんでしょう? あの人も、ルックって子も、あなたも大嫌いよ!」
さっきまで腕の中で泣いていたアップルが突然敵意を剥き出しにしてきたことに驚いたシーナだが、すぐに呆れたような困ったような顔になった。
「味方ってさあ、ここは解放軍の本拠地だぜ? ティルの味方ばっかじゃん」
「私は違うわ! 私はマッシュ先生のためにここにいるんだもの」
「そのマッシュが一番のティルの味方じゃないか」
天流が自分よりもルックよりも、マッシュを信頼していることをよく知っていた。
些かの嫉妬もないと言うと嘘になる。あの二人のともすれば恋人同士にすら見える親密振りには自分達が入る隙間など無く、時折ひどく複雑な気分に陥ったものだ。
アップルもそれは同じだった。
彼女は天流とマッシュが一緒にいると、いつも疎外感を感じていた。それが天流を嫌う理由の一端でもあった。
あれだけ戦争を嫌っていたマッシュを再び戦争に巻き込んだ張本人のくせに、いつも傍にいた弟子である自分よりもマッシュの信頼を得ている少年が羨ましく、憎らしい。
「あの人が先生を巻き込みさえしなければ、先生はこんな目に遭わなかったのよ。私は絶対にあの人を許さない」
「俺、あんたのこと可愛いと思ってるんだよね。一所懸命なところとかさ」
「な、何よ、いきなり」
突拍子も無く的外れな言葉に、さすがにアップルも怒りを忘れて唖然となった。
シーナの顔にはいつも浮かべる人をからかうような笑いはないものの、態度は普段と変わらない飄々としたものだ。
人の話を聞いていたのかとアップルが疑うのは当然のことだろう。彼女は確かに天流やシーナを拒絶する台詞を吐いていたのだから。
「でもさあ」
アップルの疑念を吹き払うかのように、シーナの瞳が真剣な光を放つ。
がらりと変わった雰囲気に、益々戸惑う。
「ティルを傷付けることは、俺が許さない」
いつになく静かな口調は、シーナの真剣さを如実に表していた。
怖いくらいに鋭い眼差しに、アップルは思わず後ずさる。
そして彼女は理解に至った。
シーナの胸のうちに燻る怒りは、アップルのそれよりも数倍深く、激しいことに。
青褪めて動かなくなってしまったアップルの目の前で、シーナの表情がフッと緩んだ。
刺すような視線も嘘だったかのように消え去り、いつもの愛想の良い笑顔が浮かぶ。
「ま、覚えておいてよ。それに、あんまり下手なこと言うとルックが本気で怒るからさ」
冗談めかしてさらりと恐ろしい台詞を吐き、シーナは踵を返して出口に向かった。
「ど、どこ行くのよ」
ようやく出せた声はひどく掠れ、震えていた。
バツが悪そうに顔を赤らめるアップルに視線だけを向け、シーナはへらっと笑う。
「医務室だよ。結構痛いんだぜ」
ひらひらと振った腕には、アップルを庇ってルックの風の刃を受けた時の傷があった。
改めてシーナを見てみれば、所々切り裂かれた服からは血が滲んでいる。
「あっ」と声を洩らした時には、すでにシーナの姿は無かった。
アップルは、泣き喚くばかりで自分を庇って怪我をしたシーナやフリック達に謝罪も感謝も伝えていなかったことに気付き、あまりの居たたまれなさに再び涙を零した。
これではただの我侭な子供だ。
自己嫌悪が無数の針と化して胸を貫き、痛みが広がってゆく感覚に哀しく怯える。
一人残された屋上で、アップルは蹲って泣いた。
先生を巻き込んだあの人は大嫌い!
あんな怖い目をするあの子も大嫌い!
いつもへらへらしてるあいつも大嫌い!
――だけど、一番嫌いなのは今の自分だ・・・!
西日に長く伸びた人影は、しばらくの間屋上から消えることはなかった。
back next
・・・思いっきりシリアスな話になってしまった・・・。
見事なまでに坊ちゃんが無口ですが、それほどショックが激しかったのです(汗)。
シーナとアップルのCPは実は密に推奨してます。好きとか以前に自然な流れだと思うので。
ただこの二人の場合お互いよりもシーナは坊ちゃんが、アップルは仕事が大切だろうなあと思ってます(笑)。
どちらも相手が一番でないところが、楽しいかなあ、なんて。
次回はソニアさんの説得です。クワバ戦まで行けるかどうか。
|