28.戻らない時間(とき)





「・・・マッシュ?」

不安げな声に、リュウカンは振り返った。
さっきまで聞こえていた小さな話し声は、いつの間にか途切れて聞こえない。

薬を処方していた手を止めて寝台に駆け寄ると、マッシュの容態を調べる。
軽く瞼を綴じた青白い顔には生気は無く、唇から洩れる微かな呼吸がかろうじて感じ取れた。

「ご安心なされ。眠っただけです。疲れていたのでしょう」

「そうですか」

心から安堵する天流の様子に、そう遠くは無い彼との別れに怯えていることが見て取れる。

「ティエン殿も休みなされ。ひどい顔色ですぞ」

窓の外に視線をやれば、すでに日は落ちて闇が広がっていた。


軍主である天流がマッシュの見舞いに来て一旦は部屋を出ていたリュウカンも、長い間重態の人間を放置しておくわけにもいかず、10分ほどで部屋に戻っていた。

それから数時間。
天流は未だ部屋に留まって、マッシュと論議していた。

出来ればマッシュには休んでもらいたかったリュウカンだが、会話の端からも軍主と軍師の会話がひどく重要なものであることが解るため、口を出すことはしなかった。

だが流石に疲れ果てたのだろう。
マッシュは気を失うかのように、深い眠りについていた。


天流はリュウカンの言葉に頷くと「後は頼みます」と深く頭を下げ、マッシュに視線を落とす。

話すべきことは、ほとんど話した。
これ以上マッシュに無理を強いるわけにはいかない。

後ろ髪が引かれるような思いを無理に押し込め、静かに部屋を出て行った。





扉を開くとビクトールとフリックが立っていた。
一緒に来ていたシーナやルックの姿はない。

「ビクトール、フリック、どうしたんだ? その怪我は」

マッシュの部屋に入る時までは何の異常もなかったはずなのに、二人の纏う服やマントは何か鋭利なもので切り裂かれ、血が滲んでいた。
一度部屋を出ていたリュウカンが手当てしたのか、あちこちに包帯が巻かれている。
あまりにも見慣れた怪我の様子から、ルックの仕業であることは一目瞭然だ。
いったい自分がマッシュと話をしている間に何があったのだろう。

天流の問いにビクトールとフリックは曖昧に笑うだけだった。

「ちょっとルックの奴の虫の居所が悪かっただけさ。俺らは気にしてねえからよ」

腑に落ちない気もしたが、本人達がこだわっていないのだから天流はそれ以上の詮索はしなかった。確かにルックが気紛れで彼らを切り裂くのは、今に始まったことではない。


「明朝、グレッグミンスターに向かう。人を集めておいてくれ」

「明朝!? 随分思いきったことするんだな・・・」

突然のことに驚愕する二人だが、それほど事態が差し迫っているということなのかと思うと気が引き締まった。

「・・・マッシュはどうする?」

躊躇われたが、やはり訊かないわけにはいかない問い掛け。
ほんの一瞬、天流の瞳が揺れたのを見てビクトールもフリックも心配そうな顔をさらに歪めた。

「置いていった方がいいんじゃないか? レオン殿なら充分にマッシュ殿の代わりを・・・」

「いや」

レオンを軍師代理にと薦めようとするフリックの言葉を遮り、天流はきっぱりと否定を口にした。

「僕の軍師はマッシュだけだ。誰も彼の代わりなど務められない。彼も我々と共にグレッグミンスターに向かう」

「いや、しかし・・・」

「解ったよ」

戸惑うフリックの隣でビクトールがいともあっさりと頷いた。
彼の目には、天流が不器用に甘えているように見えていた。
自分が知らない間にマッシュを失うことを恐れているように。
それを確信付けるように、天流はほっと表情を和らげた。

(ったく。もっと子供らしい我侭を言いやがれ)

仕方がないなと、内心で苦笑する。
フリックも何となく雰囲気を感じたようで、それ以上の異論は唱えず別の話題を持ち出した。

「ソニア・シューレンとサンチェスはどうする?」

地下牢に捕らえた敵軍の将と自室に監禁してある初老の男の名に、天流の顔色が変わる。
まだこの話題を振るには早過ぎたかとフリックは焦った。

「戦争が終われば二人とも解き放てばいい」

答えた声は冷静だった。彼らに対して何の感情も湧かないかのように。

「一度、ソニア・シューレンと話してみてはどうだ?」

フリックが訊く。
天流は彼を一瞥すると、二人に背を向けて歩き出した。

「相手に話を聞く気がないのなら何を言っても無駄だろう」

いつか友人の一人であるシーナに向けて放った台詞を繰り返す。
その冷淡さにビクトールは目を丸くするが、フリックは動揺もせずに天流を追って声を荒げた。

「待てよ。そうやって相手を無視していては駄目だ!」

その言葉が遠い昔に言われた親友の言葉と重なり、天流は足を止めた。
フリックは彼の前に回ると細い肩に触れて身を屈める。

「彼女の言い分は確かに独善的なものだ。だがな、俺には彼女の気持ちが少し解る。彼女は、俺と同じだ・・・」

思い出したくも無い過去の無知な自分を思い浮かべ、フリックは自嘲した。
今のソニア・シューレンは、そんな何も見えていなかった頃のフリック自身とあまりに似ている。
その経験からも、これでは誰も救われないことが目に見えていた。

「それに、ソニア・シューレンを解放軍に引き入れることで戦力はさらに増す。これから帝国軍と一戦交えるのなら、その力は役立つ。そうだろう?」

フリックの言葉に天流とビクトールは驚嘆した。
彼に対して非常に失礼ではあるが、二人ともフリックがこんな冷静な意見を述べるとは思ってもいなかったのだ。

「お前の言うことも正しいな」

考え込む天流の姿に、この完璧なまでの合理主義者には感情を説いても軽くあしらわれるだけだという考えは的を射ていたと、フリックは苦笑した。
彼には、以前天流の口から出た忘れ得ない言葉があった。

“解放軍の役にさえ立つなら誰がどういう感情を持っていても関係ない。必要なのは戦力だ。個人の感情などいちいち構っていられない”

何の躊躇いもなく言い放った冷酷とも言える言葉だった。今も強く残っているそれに、以前は怒りと悔しさしか感じていなかった。だが・・・。


「お前は優しい奴だよな」

「?」

哀しく微笑むフリックを、琥珀の瞳が不思議そうに見上げる。

「そうやって無言のままでいることで、相手を許そうとしている」


何の責任もない傷付いた子供を理不尽に責め立てる、馬鹿な大人達を。
その憎悪を黙認することで、自分を憎ませることで、その人を支え護っている。
自分の辛い状況すら、道具にしてしまいながら。


天流は戸惑ったようにフリックを見た後、「お前達も早く休むといい」と言い置いて階段の方に足を向けた。

小さな背中を見送るフリックに、ビクトールの意味ありげな視線が注がれる。

「お前もティエンのことが解るようになってきたみたいだな」

「あんな解り難いガキは初めてだ」

冗談めかした口調だが、それは紛れもなく本心から出ている言葉だ。

「さてと、同行は拒否されちまったし、明日に備えるか」

「そうだな」

ビクトールの言葉に、フリックは曖昧に笑って頷いた。

天流が二人に言った言葉。地下牢へと向かうであろう天流に続こうとした二人を制するように、彼は「休め」と告げた。
これは、二人の行動を察しての「付いて来なくて良い」というメッセージだった。





地階に着いて、地下への階段へと向かった時、天流を呼び止める声が響いた。

振り返ればこちらに向かってくる二人の青年の姿が視界に入る。それは、かつて父テオ・マクドールの腹心であったアレンとグレンシールの二人だ。

「ティエン様、もしやソニア様の元に向かわれるのですか?」

グレンシールの問いに、天流は頷くことで答えた。
二人の表情が心配に曇る。

「我々も、ご一緒させて下さい」

「え?」

「お願いします、ティエン様。私達はもう、後悔をしたくないのです」

「後悔・・・?」

アレンとグレンシールは、渋い顔で目を伏せた。
彼らの整った面立ちは、まるで懺悔を求めているかのように思い詰めたものだ。

「今度こそ、貴方をお守りしたい・・・」

「・・・・・・?」

ただならない二人の様子に、琥珀の瞳に気遣いを浮かべて俯く二人を見上げる。
問い掛けの眼差しに、二人はただ無言で頭を下げた。



地下室は、やはり他のフロアとは雰囲気が違っていた。
部屋の奥ではカマンドールの実験が行われているのか、途切れることのない機械音と共に、漏れる光が様々に形を変える様が見て取れる。

実験室をさらに奥へと進めば、地下牢の扉に行き着く。
アレンとグレンシールを伴なって、天流は牢屋の前に回り込もうとしたが、ふいに足を止めた。
急に立ち止まった天流に続いて足を止めた青年達も、彼の頭越しに見た光景に驚きを隠せなかった。

ソニアが捕らえられた牢の前には先客がいた。
それは、彼らのよく知る人物。

「クレオ・・・?」


ソニアと真剣な面持ちで話し込むのは、天流にとって姉のような存在であるクレオだった。
二人は話に夢中なのか、天流達に気付く様子は無い。

声を掛けることを躊躇っていると、ソニアが吐き捨てるように「お前も裏切り者だ!」とクレオに言い放つ声が響き、天流の顔が強張った。
だが、答えるクレオの声は穏やかなものだ。

「ソニア様・・・テオ様はティエン様を憎んでいるでしょうか?」

「・・・・・・」

「貴方はティエン様の母になったかも知れないお方です。その貴方がティエン様を憎む。それが私には耐えられません」

「しかし、私は帝国とテオ様に対する忠誠を捨てることは・・・・・・」

静かに諭され、ソニアの表情や声に動揺が表れた。
帝国とテオへの忠誠と天流への慈愛の間で揺れ動く様に、彼女も心の奥では今も天流を大切に想っているのだと確信し、クレオは安心した。

「テオ様の死に顔・・・それは・・・安らかなものでした。我が子の成長を喜んでいたのでしょう。そのことを知っておいて下さい」

すべてを話し終えたクレオは軽く会釈をして踵を返した。
そのまま立ち去ろうとして、行く先に立つ天流達に気付いて驚きに染められた瞳を大きく開く。
クレオの様子に気付いたのか、ソニアも驚きを浮かべて天流達を見た。

「ティエン様」

「・・・ティエン」

姉のように想う二人の女性に名を呼ばれ、天流は足を踏み出した。

「ソニア様にご用ですか?」

心配そうに問うクレオに頷くと、彼女は複雑な中にも安堵の色を見せて天流に道を譲るように壁際に立った。

「・・・ありがとう、クレオ」

擦れ違い様にそう言って、天流はクレオに小さく微笑んだが、ソニアと向き合うと和らいでいた表情を引き締めた。
ソニアは天流から目を逸らし、硬い声を発する。

「・・・何用だ。処刑するなら早くしろ」

「処刑する気はない。ただ仲間になってほしい」

「・・・・・・。私はお前を憎んでいるのだぞ。それでも仲間になれと言うのか?」

「それでも、いい」

睨み付けてくるソニアを、天流は真摯な表情で見返した。

「僕は貴方に多くを望まない。ただ、貴方達の戦力が欲しいだけだ」

帝国を討つために。

昔に戻れなくてもいい。恨まれたままでも。
解放軍の戦力が増し、帝国に勝利することができるならば。


ソニアの表情が崩れた。
吹き溜まった感情が心の奥から奔流のように流れ出す。

「お前は・・・本当に帝国を・・・陛下を討とうと言うのか」

「そのために僕は今まで戦ってきた」


――そのためにはテオ様をも討てるのか。

きつく唇を噛み締め、ソニアは爆発しそうな感情を懸命に塞き止めた。
昼間のような醜態を、何度も晒すわけにはいかない。
ソニアは、あの時感情のままに天流を責め立てた後、哀しみと怒りに真っ赤になって自分を睨み付けてきた子供の言葉を思い出す。


『帝国軍は散々おれたちを苦しめたくせに、なんで皆を助けようとするティエンを責めるんだよ! ティエンは優しいのに! お前なんかが悪く言うな!!』


純粋な子供の思いからの叫びは、失いかけた冷静さを取り戻してくれた。
あんなに幼い子供に言われるまで、自分の行いを顧なかったとは情けない。
しかし、割りきれない葛藤があるのもまた事実で。
ソニアはまだ天流に対して平常心で接することができなかった。


「・・・・・・。ふん。良かろう。仲間になってやる。しかし、手は貸さんぞ。お前と一緒にいて、お前の死に様を見てやる」

無理に作った無表情で尖った言葉を投げ付け、ソニアは会話を打ち切るように天流達に背を向けた。
逸らされる前に一瞬だけ交錯した彼女の瞳からは、燃え盛っていた殺意はすでに消えていた。だが、怒りと憎しみ、そして愛しさの交じり合った哀しみの色が濃く満ちていた。

そんな彼女の後姿に「ありがとう」とだけ言って、天流は身を翻した。
アレンとグレンシールの脇を擦り抜ける際、地下牢の鍵を託してクレオと共にその場を後にする。

二人は天流とクレオを見送って、牢の錠を外してソニアを促した。

「ソニア様は我々と同じ棟に来て頂くことになります」

「・・・」

ソニアの力無い目が、テオのかつての腹心の二人を見る。

「アレン、グレンシール。お前達は何故、解放軍に入った・・・?」

「テオ様のご遺志、そして自分達の意思です」

澱み無く答えた。
ソニアの険しい眼差しを静かに受け止める二人に、彼女はさらに質問を重ねる。

「迷いはなかったのか? 解放軍への憎しみは?」

「迷いがなかったと言えば嘘になります。解放軍の者にも問われました。自分達は我々の主の仇なのに、仲間になどなって良いのかと」

「しかし、俺達はティエン様を仇などとは思っていないし、解放軍を憎むこともできません」

「・・・何故」

「テオ様の私達への最後の言葉は、“ティエンを助けてやれ”・・・でした」

ソニアの顔色が変わった。
テオを失ったと知らされた時の常軌を逸する苦しみと絶望が甦り、込み上げる感情を抑えるように、ギリッと強く手を握り締める。
そんなソニアを、アレンとグレンシールは静かに見つめる。

「ティエン様がテオ様を殺したと思わないで下さい。子は父親を越えるものなのですから」

「・・・っ。しかし、ティエンのためにテオ様が命を落としたのは事実だ!」

「ソニア様は、テオ様がティエン様を討てば良かったのだと。そうおっしゃるのですか?」

「違う! ティエンが帝国を裏切らねば良かったのだ! そうすれば誰も辛い思いをせずに済んだっ」

抑制しようとすればするほど、出口のない激情が胸の奥で大きくうねる。


あんなにも幸せだったのに。
マクドール家の後継ぎとして何不自由なく育ち、約束された将来もありながら、何故その全てを捨ててまで帝国に歯向かうのか。

まだ脆弱で、少し突付けば簡単に崩壊したであろうレジスタンスに、何故力を貸した。
帝国を混乱させ、テオを苦しめ、その先に何を得ようと言うのか。

天流が早まった真似さえしなければ、こんな哀しいことにはならなかったのに――。


「それで・・・ティエン様までもが民の苦しみを見て見ぬ振りを? それは無理だと解っておられるはずです」

「ティエン様は圧政に苦しめられる人々を見て、それを見捨てるような方でしょうか?」

「それは・・・」

「ティエン様は、帝国軍を裏切ったのではなく、見限ったのです。民を裏切った帝国を・・・」

「・・・っ」


「テオ様が、私達が出来なかったことを、ティエン様は成し遂げようとしているのです」

そう言って表情を曇らせるアレンとグレンシールが思うのは、自分達の犯した過ちの数々。

テオを止められる位置にいたにも関わらず、テオを裏切ったという理由だけでパーンを見殺しにした。
忠誠心というものに縋り付いて解放軍と刃を向け合った末に、テオを失った。
その結果――天流は自らの手で父親を討たねばならなかった。

どれほど後悔し、自責の念に捕らわれただろう。


「俺は・・・あの戦場でティエン様が言った言葉を忘れることはできません。――本当に陛下を思うならば、何故その愚考を諌めなかったのか。陛下さえ護れればそれで良いのか。
ティエン様は、テオ様だけではなく、我々帝国軍の全ての者にそう問いかけました」


何かが間違っていると知りながら帝国に仕え、民の苦しみを見て見ぬ振りをしてきた日々。
積み重なった帝国の腐敗と民の苦しみは、一人の少年を苛酷な戦争へと引きずり込んでしまった。
天流の哀しみと苦しみは、全ての大人達の責任であることを忘れてはいけない。

本当に責められるべきは誰なのか。
天流を間近で見守る者達が一様に己に問いかける疑問。
少なくともそれは、戦争の犠牲となった少年に向けるべきではないはずだ。



「・・・・・・っ」

ソニアの美しい顔が苦しげに歪められた。
俯き、肩を震わせる彼女の中に深い悔恨の波が押し寄せる。

天流の言い分を聞こうともせず、理解しようともしなかった。
帝国がとっくに腐っていたことなど、知り過ぎるほど知っていたのに。


「テオ様が陛下への忠誠を貫いたように、ティエン様は民への誠実を守り抜いた。けれどそれは、本来私達こそがしなければならなかったことなのです」


「だからソニア様、テオ様を討たねばならなかったティエン様のお心も、どうか察してあげて下さい」

「・・・・・・そんなことは解っている。私も、幼い頃からあの子を知っているんだ。テオ様を心から慕っていたあの子が平気なわけがないことくらい・・・」

けれども、決して信念を曲げないことくらい・・・。

バルバロッサ陛下に命を捧げたテオとは違い、天流は真実を見極め道理を求める。
例え父と道を違えたとしても――。



解っていたのだ。

テオが天流を恨むわけがないこと。
天流がテオを裏切るわけがないこと。

二人が互いに全てを理解し合った上で、武器を交えたこと。


だけど、受け入れることができなかった。


幸せだった時間
(とき)が――もう戻らないことを。


理解したくなかった。


「・・・軍人である前に、所詮私はただの女でしかなかったわけか・・・」


自嘲を含んだ呟きが、哀しく流れた。



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坊ちゃんが無口な分、アレンとグレンシールにフォローしていただきました(苦笑)。
二人は、これ以上坊ちゃんが親しい人と対立することがないようにしたかったんです。
ソニアさんは好きです。話せば解る人だと思うのですが、上手くその辺表現できたかどうか…(汗)。
坊ちゃんへの複雑な思いが消えることはありませんが、それでもやはり坊ちゃんへの慈愛は深いのです。

次回は出陣までのひとときです。仲良し三人中心。
今回出番がなかった分、ルックとシーナが出張ってくれるかと(笑)。



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