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29.出陣前夜
石造りの古城は夜気に冷え、とうに冬を越しているこの季節でも肌寒さを感じた。
訪れる戦争への興奮から熱気を醸す室内とは対照的に、月明かりが窓から差し込む薄暗い階段は不気味なほど静かで冷気を漂わせている。
クレオと共に遅い夕食を済ませて一人自室に戻る途中、天流は階段上の踊り場に佇む一人の少女に気付いた。
「ティエン様」
控えめな声が天流の名を呼ぶ。
心配そうに曇る澄んだ瞳が天流を見つめている。
「どうしたの? カスミ」
問う天流の声音はとても優しい。
階段を上って彼女の目の前に立つと、間近で見つめられたカスミは頬を赤く染めて下を向いた。
「あの、私・・・ティエン様が心配で・・・」
「心配?」
カスミの哀しげな表情に彼女の思うことを察して、天流は今日は心配されてばかりだなと苦笑した。
彼女は事情を知る者の一人だ。マッシュの負傷やサンチェスの裏切り、そしてソニア・シューレンのことも解っているのだろう。
「あの人・・・あんな・・・酷い言葉をティエン様に吐いて・・・。私、許せません・・・っ」
数時間前、城の入り口で起きた情景に、いつも冷静な忍者の少女の声に怒りが滲む。感情の激しさに声が掠れた。
「仕方がないんだ」
怒りに震えるカスミとは対照的な、静かな声。柔らかなそれに、昂ぶっていた感情が落ち着く。
当惑するカスミに天流は穏やかに言った。
「彼女はね、僕の母上になったかも知れない人なんだよ」
「えっ?」
カスミが驚いて天流を見た。
(――母? ティエン様の継母に?)
「そんな・・・」
「愛する人を奪った者を許せないのは当然だ」
「・・・、辛い思いをしたのはティエン様だって同じです! それに、帝国軍だって多くの人の命を奪いました。それなのに・・・っ」
自分だけが辛い思いをしているとでも思っているのだろうか――?
愛する男性の命を奪ったのが、その息子。
ソニア・シューレンはどれほどやりきれない辛さを味わったのか。
しかし、テオのことも天流のことも知っているのなら、尚更彼女は彼らの想いも解るはずではないのか。
今にも泣き出しそうなカスミの肩に、天流は慰めるように優しく触れる。
天流が抑え込んでいる分、哀しんでくれる少女が愛しかった。
そして、自身に言い聞かせるように小さく呟く。
「誰かを殺せば、その誰かを想う人の憎しみが向けられる。人を殺すということは、その人の人生そのものを背負うということだ。その覚悟がなければ戦争なんて起こすべきではない」
「ティエン様・・・?」
「僕は、カスミにも憎まれるだろうと思っていた」
「え?」
思い掛けない言葉にカスミは唖然となった。
天流を憎むなど、考えたこともないのに。
「君の大切な人達を奪ったのは、僕の父上だ。その怒りが僕に向けられても、仕方の無いことだと・・・」
「ロッカクの里を滅ぼしたことに、ティエン様は関わりありません!」
辛そうな顔で、しかし強い語調でそう言って、カスミは天流の方に一歩踏み出した。
「ティエン様がテオ将軍のご子息でも、ティエン様はティエン様です。行き場のない私を仲間として迎えて下さったこと、心から感謝しています。私はティエン様に仕えられることを、本当に嬉しく思っているんです!」
偽りの無い忠誠心から来る言葉に、天流はどこか複雑な表情に儚い微笑みを浮かべた。
大切な人を失った人達の強い怨嗟。
誰かを憎むことで生きることに絶望せずに居られるのなら、それはそれで構わなかった。
大勢の人間の命を巻き込むのだから、恨まれるのは当然だ。それが、どれほど理不尽なものだとしても。
しかしその怒りが最もであるのが、圧倒的な力によって、一方的に蹂躙された無辜の者達。
人間達に村を滅ぼされたエルフ達や、戦争によって住む土地を奪われた人達。そして、天流の実の父親であるテオ率いる帝国軍に滅ぼされたロッカクの里の人達の怒りが自分に向けられたとしても、天流は甘んじてそれを受け入れる覚悟をしていた。
だがそういう人達に限って天流を責めることをしない。そればかりか、天流に希望を託して命を預けてくれる。
彼らの優しさには感謝とともに、痛いほどの切なさを覚える。
そんな人達のためにも、前に進まなければならない。
この戦争を、終わらせなければならない。
故郷を滅ぼした憎むべき将軍の息子である自分に恨み言一つ零さず、一途に仕えてくれる、この少女のためにも。
「君が、僕を信じて付いて来てくれること、とても嬉しく思うよ。・・・ありがとう、カスミ」
「そんな・・・ティエン様・・・」
「そして、出来ることなら・・・最後まで共に戦ってほしい」
「もちろんです、ティエン様! 私頑張りますから・・・だから、どうか見ていて下さい・・・っ」
――必ず、この人を守る。
決意も新たな真っ直ぐな瞳で、カスミは天流を見つめた。
全ての痛みや苦しみを、その細い身体で受け止めようとする若き主人。
浮かべる微笑の美しさと深い慈しみの心を、傷付けられることがないように。穢されることがないように。
彼に出会ってからずっとこの胸に湧き起こる、不思議にあたたかな想い・・・
許されない感情と知りながらも、愛しさは募る。
■■■■■
自室に戻った天流は、部屋に入ったところで思わず立ち尽くした。
しかし数秒後には何事もなかったかのように室内に入り、ずっと手にしていた書類の束を机に置いた。
薄暗い室内に視線を巡らせると、部屋の中央には寝台がある。
生活感の乏しい部屋で唯一、ここが私室であることを証明するそれは、天流が一人寝るには大きく思えた。
「ああ、戻ったの」
部屋の主のものではない声は、その寝台の上から発せられた。
「ルック、ずっとそこに居たのか?」
寝台に腰掛け、寛いだ様子で読んでいた本から顔を上げたルックは、机に向かおうとしている天流を無言で手招く。
天流が寝台に近付くと、その手を取って寝台に引きずり込んだ。
「明日は忙しいんだろ? 余計なことしてないで、さっさと寝れば」
「・・・そうだね」
外見に似合わない強引さに微苦笑が浮かぶ。
天流はルックの言葉に逆らうことなく、バンダナと上着を脱ぐと彼の隣に横たわった。
「レックナート様に報告に行って来た」
天流が寝台に落ち着いた頃を見計らって、ルックは口を開いた。
「・・・そう」
「明日、来るってさ」
「わかった・・・」
吐息のような声で頷くと、天流の瞼がそっと綴じられた。
「眠ったの・・・?」
眼を綴じて間もなく寝息を立て始めた天流を覗き込み、その穏やかな寝顔にルックは安堵の息を漏らす。
顔色が良いとは言えないが、少なくとも先日、親友を失った時と比べればそれほど酷い状態ではなさそうだ。
この日は天流にとって辛い一日だった。
誰よりも深い信頼を置く軍師マッシュの負傷は、彼にかなりの精神的な打撃を与えたことは間違いない。
そして、目が覚めればすぐに訪れるのは、戦争だ。
せめて――眠りだけは、君に優しくあってほしい・・・
心細いはずなのに弱音を吐かない少年に、穏やかな休息を――。
想いを込めたあたたかな風が天流を優しく包む。
燭台の火をすべて吹き消し、ルックは天流の隣に身を沈めた。
■■■■■
翌朝、と言っても太陽が顔を出すにはまだ随分と時間がある暗闇の中、天流は身を起こした。
その気配に隣に眠るルックも眼を覚ます。
二人が眠りについてほんの数時間。
しかし天流は起きた時点から眠気を感じさせない顔で寝台を出た。
燭台に明かりを灯し、素早く身支度を整える天流にルックはどこかおもしろくなさそうな視線を注ぐ。
突然隣にあった温もりが消えたことが不満だったのだが、残念ながらルックはその感情を理解していない。
「おはよう、ルック」
ベッドに上体を起こして自分を見つめる友人に気付き声を掛ける。
「おはよ。髪、乱れてるよ」
そう言って天流を再び寝台の方に引っ張って腰掛けさせると、ベッドの隣にあった棚から櫛を取り出して、手慣れた手つきで天流の髪を梳いていく。
ルックの動作に無駄はなく、彼が随分とこの部屋に馴染んでいるのが見て取れる。いったい自分がいない間に何度入り込んで室内を物色したのやら。
一度梳けばすぐに綺麗に流れる黒髪を満足そうに見やり、もう一度櫛を入れようとしたその時。
天流とルックは近付く人の気配に同時に扉を見た。
コンコン
控えめなノックの後、抑えた声が微かに届く。
「ティル、起きてるか?」
「起きてるよ、シーナ」
答えると、今度は遠慮なく扉が開かれ、少し眠たげな貌に笑顔を浮かべたシーナが部屋に入って来た。
「おは・・・」
そして硬直。
浮かべた笑顔のまま凍り付いたシーナの視界には、寝台に仲良く寄り添う二人の美少年の姿が背景に花を咲かせて映っていた。
まるで深窓の令嬢のように清楚に座る天流と、そんな彼を後ろから抱き締めるかのようにさらさらの髪を弄ぶルック。
この瞬間、シーナに纏わり付いていた眠気は跡形も無く霧散した。
代わりに訪れるのは極度の混乱。
「な、なにをやって、いや、なんでここに、じゃなくていったいどうして・・・??」
もはやまともな文法になっていない。
わけが解らず、天流とルックは胡乱げにシーナを見つめる。
しばらく声も出せず口をぱくぱくさせていたシーナだが、やがてそんな自分に痺れを切らし、
「あーっ! まだるっこしいっ!! 普通に訊きゃいいんだよっ、こらてめえ、ルックッ!!」
「何さ」
「お前、いったい何してやがる!」
「見て解らないわけ」
人を小馬鹿にしたルックの態度は、火に油を注ぐが如くシーナの苛立ちを増長させた。
二人に挟まれた天流はいきなり巻き起こった剣呑な空気に戸惑う。
「シーナ、いったい何を怒ってるんだ?」
「・・・なに・・って・・・」
「どうせ、おかしな妄想でもしたんだろ」
(このガキ・・・っ)
ぐっと怒りを抑えて気を取り直し、シーナは引き攣りながらも天流に明るい笑顔を向ける。
「親父や熊や青男達が兵を集めてんぜ。そろそろ出陣なんだろ?」
「ああ。朝早くから済まないな」
天流は立ち上がると、さっきまでルックが触れていた頭にバンダナを巻いて、部屋のある一角に歩み寄った。
その先には、どこか異質な雰囲気を醸すものが立て掛けられている。
若葉色の布が緩く巻かれたそれは、天流の父が使っていた長剣と、従者が遺した斧、そしてどこか気品を漂わせる一振りの剣。
「その剣は?」
父親のものでも従者のものでもないそれを、シーナは興味深げに眺めて問いかけた。
剣を使うシーナには、その剣が名のある名工によって作られたことが一目で解った。鞘だけを取っても価値があるものだ。しかもきちんと手入れをされている。
「僕の剣だ」
「えっ?」
意外な答えに眼を丸くする。
シーナが驚くのも無理は無かった。
常に黒塗りの棍を愛用する天流は、これまで一度も剣を振るったことはない。
「軍に入隊する時、父上から祝いに賜った」
傍に立つルックとシーナにも見えるように傾けた剣の柄には、赤月帝国とマクドール家の紋章が刻まれている。
「これ・・・」
シーナに剣を預け、天流は手際良く甲冑を身に纏った。
これは鍛冶屋の五人集や紋章師ジーンによって手を加えられた特別製で、決して派手ではないが凝った装飾は控えめながらも高貴さを滲ませ、天流によく似合っている。
そして、最後に天流は剣を腰のベルトに差した。
「父上は、この剣で陛下を護ることを望まれたのだろうけれど・・・現実は皮肉なものだな」
テオの願いが込められた剣は、バルバロッサ皇帝へと向けられるのだから。
つくづく親不孝だと、自嘲する。
「そうでもないだろ」
いつになく柔らかなシーナの声に顔を上げると、声音と同じ位穏やかな顔があった。
「俺も、親父から剣をもらった。護るべきものを見つけ、それを護るために使えって」
心正しい武人ならば、剣術を敵を殺す術だとは考えない。
自分の身を護り、己の大切な存在を護るための手段なのだ。
私闘を禁じ、私欲のために剣を振るうことを是としない。
テオ・マクドールも、シーナの父であるレパントもその精神に基づき、我が子にもそう教えてきた。
「お前の親父さんの護るべきものはバルバロッサ陛下だった。けど、お前まで父親と同じものを護る必要なんてないんじゃねえの。守りたいものなんて、人それぞれなんだからさ」
大切なのは、自分が本当に護りたいものを見付けることだ。
シーナにとって、天流という存在がそれに当たることは、すでに彼も自覚していた。
「ありがとう、シーナ」
少し照れくさそうにはにかみ、天流はシーナを見上げた。
珍しく無防備な様子に、不意を突かれたシーナは思わず赤くなる。
二人のやり取りを見ていたルックは憮然と顔を顰め、天流の肩に触れて注意を自分に向ける。
「早く行かなくて良いわけ?」
「あ、そうだな」
ルックの言葉に天流は一瞬で軍主の顔となり、愛用の棍を片手に「じゃ、行こうか」と部屋を出て行った。
その姿を見送ったシーナは、黙っていれば美形で通る顔立ちを恨みがましげに歪め、隣の美少年を見やる。
「ルック・・・てめえ・・・」
「ふん」
邪魔しやがったな、と睨み付けるシーナに冷笑を浴びせ、ルックは天流の後を追う。
数秒を置いて、シーナも悪態をつきながら部屋を出て行った。
広間には宿星を中心に、大勢の兵士達が集まっていた。
すでに準備は万端だ。
窓の下を見やれば城を囲むように兵が整列し、トラン城に入りきらなかった他の大勢の兵士達もカクの村付近に勢揃いして出陣の時を待っているという。
天流がその広間に姿を現すと、誰もが表情を引き締めた。
ルックとシーナは整列する兵士の中へと合流し、天流は大勢の兵士の前に進み出る。
そこにはリュウカンに付き添われてマッシュが天流を待っていた。
「ようし、全軍揃ったぜ。軍師殿」
フリックの声にマッシュは一つ頷くと天流に視線をやり、次に全員を見渡す。
「解放軍の戦士達よ! ついに時は満ちた! 長き間、人々を苦しめてきた帝国の最期の時だ!」
「友を思え、家族を思え、そして彼らのために戦うのだ!」
「人々の怒りは地に溢れ、嘆きの声は天にこだましている。今こそ、それを止める時だ」
レパントやウォーレンも続き、兵の士気を鼓舞する。
応えるように、兵からは力強い声が上がった。
「帝国との戦いも終わりが近い。我々、解放軍にも犠牲が出た。死んでいった友のためにも、そして何より未来のために我らは進まねばならない。この戦いを終わらせなければならない。
我ら解放軍の旗の元、ティエン殿のもと・・・」
怪我の辛さ感じさせない口調は強く、張り詰めた抑揚でマッシュが声を張り上げた。
そんなマッシュの想いに応えるように、天流は棍を手にした右手を高く突き上げる。
「我らに勝利を!」
玲瓏とした声が響き渡る。
ビクトールやフリックらの声が上がったかと思うと、次の瞬間には地鳴りのような咆哮がトラン城を満たした。
天流を見る兵士の顔は誰もが自信に満ち、希望を湛えている。
圧倒的なまでの信頼や敬愛、憧憬の念。崇拝とも言えるほどの。
皆、自分を信じて付いて来てくれた仲間達だ。
だが、ここまで来るまでには、たくさんの命が失われた。そしてこれから多くの命が犠牲になるかも知れない。
自分は、本当にそれだけの価値がある人間なのだろうか?
時々、それが分からなくなる。
けれど―――。
静かに眼を綴じた天流は、やがて何かを決心した表情で眼を開けた。
――終わらせてみせる! 必ず・・・
夜風の冷たさは、兵達の燃え上がる闘志の前ではそよ風に等しく、虚しく通り過ぎる。
夜も明けきらぬトランの大地を、解放軍は帝都へと進攻して行った。
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というわけで、、ようやくここまで来ました(汗)。
ルックは決して坊ちゃんの部屋をしらみつぶしに物色したりはしてませんので(汗)。
ただ、まあ、馴染んでいるのは確かですけど・・・(苦笑)。
坊ちゃんはフッチやカスミに対する態度がとても優しいです。無条件に慕ってくれることが解るので。
ただ坊ちゃんとカスミは進展しないCPでしょう(苦笑)。でも信頼感は強いです♪
次回はようやくのクワバ戦です。ユーバー登場。レックナ―ト様も次回出ます。
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