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30.クワバの攻防
「・・・来たか」
平原の彼方を見つめ、男は口許に酷薄な笑みを浮かべた。
夜が明けきらぬトランの大地は薄い闇に包まれ、朝を告げる鳥さえもまだ鳴き声を潜めている。
静寂に覆われた世界。
だが男はほんの微かな異変を鋭く感じ取っていた。
慣れているはずの闇が、忌々しいほどの輝きを伴なって彼方より近付きつつある気配。
待ちに待ったその時が、このクワバの城塞に訪れようとしている。
彼の呟きに、近くに控えていた兵士が怪訝の目を向ける。
若い兵士の目には男に対する畏怖の念が現れていた。
そんな彼に冷笑を含む声が掛けられる。
「何をしている。解放軍とやらが迫っているぞ」
その言葉に驚いた兵士は慌てて望遠鏡を覗き込むが、彼の目には何の異変も映らなかった。
困惑する兵士に嘲笑が浴びせられる。
「くく、貴様如きには解らぬか。まあいい。さっさと軍を整えることだな」
兵士は躊躇いを見せたが、この男は指揮官と同等、いやそれ以上の存在だ。逆らうことは許されない。
とりあえず彼は、隊長であるカナンの指示を仰ごうと、城塞の中に駆け込んだ。
その場に一人残った男はじっと一点のみを見据えていた。
興奮に昂ぶる男の手は、腰に帯びた長剣を強く掴む。
「早く来い、ソウルイーターよ・・・っ!」
まるで閨房の睦言を思わせる低く甘い声音。
黒い甲冑から覗く金色の前髪に隠された鋭い瞳は、見えないはずの彼の者を愉悦を秘めて睨み付けた。
■■■■■
解放軍は、クワバの城塞とセイカの村の中間ほどの位置に当たる小高い丘の上で野営をはっていた。
拓けた草原の奥には帝国軍最後の砦、クワバの城塞の輪郭が朝靄に霞む。
徐々に東の空が薄みを帯びていく中、解放軍リーダー、天流・マクドールは数人の仲間と共にある一角のテントの中にいた。
その場には仲間達の他に、占師風の一人の女性の姿がある。
ルックの師匠であり、解放軍に約束の石板を授けた星見の女性、レックナ―トだ。
彼女は解放軍がついに王都へと侵攻せんとしていることを知り、天流の前に現れた。
レックナートが語ったのは、彼女の姉であるウィンディの過去と二人の確執についてだった。ようやく姉を止められる者が現れたと、嬉しさの中にも哀しみを抱いてレックナートは天流に言った。
天流自身はウィンディに対して良い感情はまったくと言って良いほど無い。彼女は親友であるテッドを苦しめ、死に追いやった憎むべき敵であり、バルバロッサ皇帝に取り入って帝国を腐敗へと導いた張本人でもあるのだから。
常に冷静な天流であっても、彼女を前にして怒りを抑えられる自信はなかった。
それでも、レックナートにとっては唯一人の姉妹であることを思うと、また誰かの大切な人を奪ってしまうのかという心苦しさが襲う。
「朝陽が目に染みるぜ・・・」
瞬時に場を白けさせた呟きは、『天流の大切な友人』という他者にとっては羨ましい限りの地位を確立する少年のものである。
夜の気配は遠ざかり、東の空には陽射しの帯が天を射す。
夜明けの清々しい風を纏いながら、シーナは意味も無く片手を腰に当て、もう一方を日の光を遮るように翳して、爽やかな笑顔で先の台詞を口にした。
「帽子被れば?」
「地中に潜ってれば?」
誰もが閉口する中で、冷静にそう返したのは前者が天流、後者がルックだ。
天流はともかく、ルックの言い放った言葉に「俺はモグラか!」と返そうとしたシーナだが、周囲の慌しさに気侭なシーナもそれ以上のふざけた態度は自粛する。
現在解放軍の陣営には夜明けを待っていたかのように次々と来客があった。
竜洞騎士団や戦士の村からの援軍、ドワーフ、生き延びていたロッカクの里の忍者達。また、近隣の村などからも蜂起した民兵達までもが集う。
後を断たずに舞い込んでくる報告を受け、天流は手早く的確な指示を出してそれらを捌いていく。
竜騎士や忍者達は即戦力として軍に加えていくが、民兵達は救護兵として迎え入れた。
彼らに帝国と戦う意志があっても、天流は民間人を軍隊に入れようとはしない。
戦いに慣れない彼らでは、戦争となれば真っ先に犠牲となる恐れがあるという理由もあるが、元帝国軍と傭兵を使い分けて作戦を立てる中で彼らの参戦が障害になり兼ねないという打算的な部分もあったのだ。
そんな天流の元に、クワバの偵察に行っていたメンバーが駆け寄って来た。
「ティエン様、敵の軍勢を発見しました」
「指揮官は確認できたか?」
「それが・・・異様な雰囲気の黒騎士の傍におそらくそれらしいと思われる軍人がいましたが、あまり指揮官の風格は…」
優しく礼儀正しい性格からか、敵とはいえ悪意の含まれる表現を避けて事実のみを語るキルキスだが、その目で確認した指揮官と思われる人物に対しての印象は良くないようだ。自軍のリーダーが有能であるが故に、尚のことその人物が矮小に思えてしまう。
言い澱むキルキスの様子に、シーナが皮肉げな笑みを浮かべた。
「帝国五将軍がいないからな。残ったのは小物ばかりってことじゃないか?」
「いや、帝国軍にはまだアイン・ジード殿がいる。だが黒騎士と軍人か・・・彼は来ていないのだろうか?」
記憶が正しければ、クワバの城塞を任されていたのはアイン・ジードのはずだ。
1年前に天流達がグレッグミンスターを追われた時、城塞の門を通してくれたのも彼だった。
思案げな天流の物思いを打ち消すかのように、陣を整えた兵士達から士気を鼓舞するような声が上がる。
「準備が整ったようだな」
天流の隣でフリックが言った。
その後ろにはビクトールが余裕の笑みを浮かべている。
「すぐにでも進軍できるぜ」
天流は二人に向き合うと、彼らだけではなく全ての者に言い聞かせるように言った。
「太陽が中天に昇りきる前にこの戦闘を終わらせる。長引いた戦いは死者を増やすだけだからな。そして今日中に王都に侵攻し、赤月帝国を落とす。良いな?」
天流の強気な発言に、フリック達は闘志が湧き上がるのを感じた。
凛然とした琥珀の瞳には仲間への揺るぎ無い信頼が満ち、自信に溢れている。
誰もが誇らしさに胸を昂ぶらせた。
「任せておけ!」
「では行くぞ」
旗が掲げられた。
解放軍の紋章が描かれたそれが兵士達の目にはためき、大きな歓声が大地を揺るがす。
天流の号令で、軍隊はクワバの城塞に向けて前進して行った。
帝国軍が慌しく軍を整えた頃、解放軍の軍勢はすでに肉眼で確認できるまでに接近し、地平線を覆うように数万の騎影が並んでいた。
「ユ、ユーバーさまぁ」
真っ青な顔の太った軍人が、黒騎士に縋り付かんばかりに情けない声を上げた。どうやら彼がこの軍の指揮官らしいが、誰が見てもそのような器の男ではなかった。
傍に控える兵士を見ても、指揮官より黒騎士を頼りにしていることが解る。
「あのような寄せ集めの軍など恐るるに足らぬわ。全軍進め!!」
一斉に声を上げて戦場へと走り出す兵士達を蔑むように眺め、ユーバーと呼ばれた男は解放軍に視線を転じた。
「ようやくだ・・・」
低く呟き、剣呑な光を眼に浮かべて笑った。
天流は後方に下がって、両軍の戦局を見守っていた。
戦闘は相手に呑まれた方が負ける。
意気軒昂と戦場を駆ける帝国軍に対し、迎え撃ったのは竜騎士団だった。
思いも掛けない上空からの攻撃に帝国軍は撹乱され、勢いを失った。そこに畳み掛けるように解放軍は波状攻撃を仕掛けた。
戦況は解放軍に有利だ。
「君の出る幕なさそうだね」
「うん、皆よくやってくれてる」
「あれだけ言われればね」
ふっとルックは笑いを零した。
崇拝する軍主にあれほどの信頼を向けられて、血気盛んな兵士達が平静を保てるわけがない。
冷静なルックですら、天流のために力を尽くしたいと思ったのだから。
そこまで自分が人心を動かすことができるなどとは思っていない天流は、帝国軍も早く降伏してくれれば良いのだけど、と多くの血が流れることを憂えた。
「あれは・・・」
ルックの怪訝そうな声にはっと顔を上げた天流は、戦場の異変を確認するやすぐさま馬に跨った。
「ティル、君が行くの?」
「あれはどう見ても怪物だろう」
天流の鋭い視線の先には、数十体のモンスターの姿。
解放軍のみならず、帝国軍の兵士すら戸惑いを隠せない様子が窺える。
「あんなものまで出してくるとはね」
ルックの声には呆れが滲んでいた。
帝国軍は怪物までもを使って戦争をしようと言うのか。
モンスターに敵味方の意識は無い。自軍の兵士の命すら危なくなるというのに。
天流は兵士達の間を颯爽と駆け抜け、モンスターの群れに辿り着くと兵士に指示を出した。
「怪物の相手は私が引き受ける。城塞を落とせ!」
「は、はい!」
言葉に従い、軍はモンスターを避けるように城塞に向かって進軍を再開する。
近くに人の姿がないことを確認すると、天流は右手をモンスターに向けた。
「我が右手に宿りし生と死の紋章よ、我が意に従い汝が真の姿を現せ」
詠唱の声に応えるように、手袋に覆われた天流の右手が闇を纏う。
琥珀色だった天流の瞳が、血が滲むかのように真紅へと色を変え、ひんやりとした風がモンスターの間を流れた。
「我等が前に立ち塞がりし愚かなる者達に、闇の洗礼を」
この言葉をきっかけに怪物を飲み込むように闇が円状に広がった。
「冥府!!」
戦場の一角が黒き闇に染まった。
断末魔の叫びすらも封じて無限の闇の中へと、生きるもの全てを引きずり込む。
もがく暇なく、怪物たちは肉片も残さずに文字通り消滅した。
溶け込むように闇が消えたその空間に残されたものは、静寂のみだった。
ソウルイーターの力の範囲内に人間は居なかったため、帝国軍にも解放軍にも犠牲は無かった。
だが、この時点で勝敗は着いたも同然だ。
戦場に立つ全ての者が茫然と闇が広がった先を見つめて立ち尽くしている。
帝国兵士はもちろんのこと、解放軍の兵士や宿星として天流の傍で戦ってきた者達すら、ほとんどがソウルイーターの発動を眼にしたのは初めてだ。
これまでにも数度、闇の光が立ち昇る様ならば見た者もいるが、天流が自身の意志で紋章の力を解放したのはこれが初めてのこと。
絶対的な力を見せつけられた畏怖の念に、歴戦の戦士達すら数秒間は動くことを忘れた。
「素晴らしい力だな」
笑いを含んだ低い声とともに、黒い鎧を纏った男が天流の前に立った。
「・・・お前は」
その者に見覚えがあった。
天流にとっては最近、だが実際には300年の過去に彼の姿を見た。
滅ぼされたテッドの故郷の村で、ウィンディの傍に仕えていた黒い騎士。
知らず知らず、天流の表情が険しくなる。
「俺はユーバー。ソウルイーターの継承者よ、その力を見せてみろ」
そう言って長剣を抜く。
刀身が光を反射し、冷たく光った。
ひらりと馬から降りると、天流は真っ直ぐにユーバーを見据えた。
「私は天流・マクドール。黒き騎士よ、戦争の決着はすでに着いたも同然と見受けられるが?」
「そんなものはどうでもいい。俺は貴様と戦いたいだけだ」
「無意味だな」
「ふふ、俺は楽しいぞ」
不敵に笑って剣を構えるユーバーに、天流はこれ以上の問答は不要かと、棍を手放して腰に帯びた剣を抜いた。
対峙する二人。
構えたまま微動だにしない彼らの間を、乾いた風が通り過ぎる。
先に動いたのはユーバーだ。
鎧を纏っているとは思えないほど俊敏な動きで間合いを詰め、風を切って長剣が天流に迫る。
素早さならば天流の方が数段上だ。切っ先を難無く交わし、地を蹴って飛んだ。
まるで軽やかな羽のような動きでユーバーの頭上で体勢を変えて、左に斬り込む。
天流の動きを気配だけで追い、ユーバーは彼の剣を自分の剣で受けた。
鋭く、思ったよりは重い。だが、やはり腕力に劣る。
弾くように剣を鋭く振るが、すでに察していた天流は素早く後方に飛ぶ。
確かに力はまだ幼いそれだが、技術に関しては感嘆せざるを得ない。
決定的なダメージを受けるとは思わないが、かと言って天流にダメージを与えるのも難しいだろう。
(つまりはこいつを倒すには持久戦に持ち込むしかないというわけか)
だが、それは不可能である。
周囲を見渡せば、こちらに駆けて来る解放軍の戦士の姿や呪文の詠唱の準備をする魔術師の姿がある。いつでも天流の援護ができるように。
さっさと引き上げるのが得策なのだが、ユーバーはもう少し彼との戦闘を楽しみたいと思い、天流に斬り掛かった。
ユーバーと天流が何度か剣を交えた頃、クワバの城塞に旗が立った。
同時に湧き上がる歓声は、解放軍のものだ。
「フン、どうやら城塞が落ちたようだな」
興味がなさそうな口調でユーバーが言った。
(この国ももうお終いだな。まあ、未練はないが・・・)
最後にこんな楽しい余興も味わえたのだから。
ニヤリと口の端を上げ、剣を下ろした。
不審げに天流も動きを止める。
いつの間にか二人を取り囲むようにしていたフリックらが身構える中、「また会おう。ソウルイーターの継承者」という言葉を残し、ユーバーの姿が消え去った。
「・・・・・・」
暫し、沈黙が流れた。
ユーバーの気配が完全に消えたことを確信すると、天流は剣を収めて棍を拾い上げた。
■■■■■
クワバの城塞が落ちたことで、戦争は終結した。
生き残った帝国軍兵士達は次々と降伏し、クワバの城塞の門は開けられた。
「こいつが指揮官だとさ」
ビクトールが連れてきた縛られた男を見て、天流の表情が不快に歪んだ。
常に無表情な彼がこれほどまでに感情を出すのは珍しい。
「知り合いか?」
シーナが問う。
それに答えるより早く、男が天流に向かって声を上げた。
「お、おい、お前、天流・マクドールだろう!? お、俺を助けろ!」
その瞬間、空気が冷えた。
全員が男を冷ややかに見下ろす。
だが、そんな場の雰囲気に気付かないのか、男はさらに喚き立てた。
「俺を、忘れたわけじゃないだろう? お前の上司じゃないかっ。とにかく縄を解いて俺を自由にしろ! 命令だ!!」
「何ほざいてやがる。自分の立場解ってんのか?」
苛立ちを隠そうともせずにビクトールが吐き捨てるように言った。
ルックなどは今にも「切り裂き」を発動しそうだ。
「久しぶりです、カナン殿」
静かな天流の声に、不穏な空気は少しだけ和らいだ。
彼の澄んだ声音は、ささくれ立った仲間達の心を落ち着かせる力があるようだ。
だが自分の立場を理解せず居丈高な態度を崩さない男に、天流が慇懃な姿勢を取ることに悔しさを覚える。
「貴様、勝手に出奔して帝国に歯向かって、ただで済むと思っているのか!」
「貴方の処分は後日決めます。連れて行け」
「はい!」
冷ややかな天流の言葉に、カナンは顔色を変えた。ようやく自分の置かれた状況を理解したのかと思ったが、兵士に連れられる中で気を取り直したのか、大声で天流に罵声を浴びせた。
「切り裂き!」
風の刃に切り裂かれ、「ぎゃあ!」と悲鳴が上がる。
驚きの視線が集まったのは、もちろんルックだ。
「目障りだから、そいつさっさと連れて行きなよ」
「は、はいっ」と引き攣った声を上げてカナンを抱えるように去って行く兵士達に怪我などはまったくなく、見事なまでにカナンだけを切り裂いた魔術の制御力は称賛に値する。
いつもは「切り裂き」の被害者となって震え上がるフリックやビクトールだが、この時ばかりは彼の狂暴さを有り難いとすら思った。
「ナイスだぜ、ルック!」
全員の心情を代表してシーナが満面の笑顔を浮かべた。
返ってきたのは不機嫌に染まった冷たい視線。周囲には冷たいルックだが、天流に対してはどこか探るような目を向ける。
実は天流に怒られやしないかと不安で仕方がないのだが、本人の名誉のためにも周囲に知られるわけにはいかない。
ルックの不安を感じたのか、天流は仕方ないね、とでも言う風に彼の肩を優しく叩いた。そして、ルックにだけ聞こえるほど小さな声で「ありがとう」と囁く。
カナンに対して天流は1年越しの怒りがあった。
天流達が帝国を追われることになったのも、テッドが捕らえられたのも、すべてはあの男のせいなのだ。感情を抑えることに長けた天流でも、あのままカナンが目の前にい続ければ怒りを堪えきれる自信はなかった。
太陽が中天に昇りきる前に戦闘を終わらせた解放軍は、すぐにその足で王都を目指して進軍を開始した。
この日、解放軍はついにグレッグミンスターへと攻め込んだ。
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クワバ戦ということで、一つの大きな山を越えたという思いです(苦笑)。
坊ちゃん最強伝説・再来(笑)。不敵なルックも坊ちゃんには弱いんです♪
レックナート様にはもう少し出て頂くはずだったんだけどな(汗)。
まあ、今回書きたかったのは坊ちゃんの初紋章術とユーバー戦だったので。
次回はついに王都へ進攻します。
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