32.終焉の果て





断続的な轟音と地鳴りの中、剣の打ち合う音が響く。

紫電の光が閃き、長剣が目にも止まらぬ速さで旋回した。
切っ先は目の前の兵士を斬り裂き、そのまま返す刃で向かってきた兵士を斬り下ろした。
青いマントが鮮血を浴びて色濃く染まる。

鬼神のごとく剣を振るう男の鋭い眼光に射貫かれ、兵士達は思わず一歩退がった。

「命が惜しければ、これ以上俺の邪魔をするな」

静かな声に殺気が交じり、その凄惨なまでの迫力に慄然となる。

大勢の兵士の前にたった一人立つフリック。
その腹部に突き刺さった一本の矢が痛々しい。しかし、その箇所から滲み出す痛みが、ともすれば崩折れてしまいそうな意識を繋ぎ止めてくれた。

――あいつとの約束だからな。

放たれた矢から身を呈して護った少年に、必ず戻ると約束した。

(こんな所で死ぬわけにはいかねえ!)

血と汗の滲む手で剣柄を握り直す。

ふいに後方から迫る気配に気付き、新手かとそちらに意識を向けかけ、慣れた気配を捕らえた。口許に笑みが宿る。

「遅えぞ、熊」

「誰が熊だ、青男」

「嫌な呼び方するな!」

「お前もな」

脳裏を掠めた二人の少年の小憎たらしい顔に、二人は眉根を顰めた。

「ティエンはどうした?」

「先に行った」


ビクトールが現れた方から数人の帝国兵士が駆け寄って来る。ビクトールを追って来たのだろう。
そして、フリックの前方からもさらに数人の援軍が集まる。

この不利な状況に、二人は不敵に笑った。

「さあて、思う存分暴れるとするか」

「お前と一緒というのは気に入らないが・・・」

「死ぬんじゃねえぞ、フリック」

「当然だ。オデッサに会うのは、ちょっと早いからな。それに、ティエンに言ったんだ。必ず生きて追い付くと」

「うっかり死んだりしたらルックやシーナにどんなことされるか解ったもんじゃねえしな。あいつら死者に鞭打って嘲笑いかねないぜ」

否定できないのが哀しかった。
そして、想像できるところが恐ろしかった。


しかし、そのお陰で妙に物悲しいものではあるが闘志が込み上げた。
彼らの胸のうちにある言葉は唯一つ。



絶っ対に死ねねえ!!





「天流はこっちに逃げたぞ! 皇帝陛下の仇を取るんだ!」

兵士の誰かが叫んだ。


「皇帝の仇・・・か」

ビクトールが呟く。低い声には隠し切れない不快感があった。
そして、それはフリックも同じだ。

何も知らぬ者達。
何も、知ろうとしなかった者達。
そんな連中に、彼の命を脅かされるわけにはいかない。

(これ以上、こんな奴等にティエンを傷付けられてたまるか!)

全てこの場で片付けてみせる。
ビクトールとフリックは剣を構えて兵士達の前に立ち塞がった。

「行くぞ! 星辰剣!」

『人使いの荒い奴だな』

「我が剣オデッサにかけて、ここは通さんぞ!」


そして、そこは再び戦場と化した。







■■■■■







赤月帝国落日の日。


天流・マクドール率いる解放軍により、長い間トランの民に圧制を強いてきた帝国は滅び、黄金皇帝バルバロッサは討たれた。

強大な軍事力を誇った帝国の荘厳な城は、紅蓮の炎に包まれ崩壊していく。
その様子を見守る多くの人達からは歓声が上がった。

自分達を苦しめ続けた帝国の滅亡。
誰もがようやく手に入れた自由に湧く。


そんな中、静けさを保つ一角があった。
グレッグミンスターの街の入り口に張られた解放軍のテントには、城下の喧騒も小さくくぐもって聞こえてくる。

静寂の中の僅かなその異変を察し、寝台に横たわるマッシュは眼を開けた。

「リュウカン殿・・・あの声は・・・勝ったのでしょうか」

「ええ、そうですとも」

「そうですか・・・
・・・リュウカン殿、私は戦いを嫌ってきました。いかなる理由があろうとも、人の命を殺めることは間違いだと思ってきました。その私が戦争を指揮し、多くの命を奪った。
私は本当に正しかったんでしょうか・・・。やはりあの村で、一人、釣りをしながら人生を終えた方が良かったのでは・・・」

「マッシュ殿・・・それは・・・その答えは・・・」

マッシュよりも長い時を生きたリュウカンにも、彼に返してやれる言葉は無かった。

戦争などしなければ、誰も死なず、誰も傷付かず、何も壊れず―――だが何も変わらなかっただろう。

しかし、この戦争さえなければ、彼の少年は何も失わずに済んだはずだ。

(妹が、そしてあの方が望んだから、私は解放軍の軍師となった。だが、その結果得られたものは何だろうか・・・)

確かに解放軍は勝利し、帝国の圧政から人々は解放された。
オデッサの願いが叶い、解放軍はその役割を果たしたのだ。

では、この戦争によって傷付いた幼い少年の心は、いったい誰が癒し、救うのか。

常に傍に付き従い、絶対的な信頼を得た自分でさえも、立ち直れないほどの傷を彼に与えてしまうというのに。

「・・・ティエン・・・」

何よりも大切で、誰よりも愛しい名前。

視線だけを動かしてテントの入り口を見やる。
暗い闇の底に引きずられようとする意識を懸命に繋ぎ止めながら、マッシュはただ一人の少年が現れるのを待ち続けた。



――早く・・・・・・私の元に・・・――







歓喜に沸く解放軍やグレッグミンスターの人々の歓声を遠く聞きながら、天流はマッシュのいるテントに向かっていた。
後ろにはルック、シーナが続く。
共に行動していたクレオとカスミは途中、城内の鎮圧に赴き城下に残った。

皇帝バルバロッサとの戦闘によって紋章力を使いきったため、ルックのテレポートに頼ることはできず、三人はその足で広い通りを突っ切って行った。
その速さは、戦闘での疲れを感じさせない。
武人である天流やシーナはともかく、魔術師であるはずのルックも意外なまでの体力とスピードだ。

彼は面倒臭がって表に出さないだけで、解放軍に加わってからの1年以上の間に人並み以上の運動神経を会得していた。
常に天流と行動を共にしてきたのだから、否応無く鍛えられたのである。



「まったく、馬鹿じゃないのか? あの二人!」

走りながら、激しい怒気を滲ませた声音でシーナが言った。
それに答えるかのように、ルックが不愉快だといわんばかり吐き捨てる。

「最後の最後にくだらない真似してくれるよ」


二人は、珍しくも身体全体で怒りを露としていた。
その怒りの対象はフリックとビクトールだ。グレッグミンスターの城内で別れた二人の傭兵。彼らは追っ手から天流を逃がすために、盾となって城内に残った。
しかし、その行動こそがルックとシーナの逆鱗に触れたのである。

(ティルには絶対に言っちゃいけないことをあいつらは言った!)

(あんなことされて、彼が平気でいられるとでも思ってるわけ?)


――ここは俺が食い止める。お前は先に行け

――お前をこんな所で殺させるわけにはいかない・・・行け、ティエン


二人が天流に投げ付けた言葉。
天流を護りたかったからこその行動だ。それは解る。
だが、それが天流にとってどれほどの苦痛か、彼らは解っていない。

(負わなくても良いはずの傷ばかり増やしやがって!)

彼らも忘れたはずはないだろう。
天流の家族が、親友が、彼の前でどんな最期を遂げたか。
それによってどれほど天流が傷付いたか。
解っていながら、彼らは繰り返した。
『天流のために』という綺麗な言葉で飾った、自己犠牲という名の所詮自己満足を。

天流の心はこれで完全に壊れてしまうかも知れない。
そんな不安がルックやシーナの胸を苛んでいた。


相次ぐ親しい人の死に、限界を越えていた優しい少年の繊細な心。
止めを刺したのは、あの二人の考え無しの行動だ。





「そこをどいてよ!」

静かな空間を切り裂く、女性の怒鳴り声。
続いてうんざりしたような少年の声が過ぎる。

「だからさ、何度言えば解るわけ? ティエン以外はここを通せないんだよ」

「私はマッシュ先生の弟子なのよ!?」

天流達が声の方に駆け寄ると、マッシュのテントの前で言い争うアップルとテンプルトンの姿を目に捕らえた。
近付く気配にまずテンプルトンが気付き、天流の顔を見てほっと表情を和らげた。
その様子に振り向いたアップルは対照的に顔を引き攣らせ、険しい眼で天流を睨む。

「ティエン、早く行ってあげなよ」

アップルを押し止めながら、テンプルトンはテントを指差して天流を促した。

アップルの様子は気掛かりではあったが、今優先すべきはマッシュだ。
天流はテンプルトン達の傍を擦り抜け、テントへと向かった。

「ちょ・・・っ」

呼び止めようとしたアップルだが、テンプルトンとシーナに捕まり、ルックの厳しい視線を向けられて思わず身を竦ませた。



テントの中にはリュウカンと寝台に横たわるマッシュの姿があった。
天流に気付いたリュウカンは、彼に会釈すると静かにテントを出て行く。

二人きりとなったテント内。
天流は寝台に歩み寄り、マッシュをのぞき込んだ。
その顔は白く、生気は無い。だが彼は穏やかに微笑んでみせた。

「お疲れ様です、ティエン様」

湖の古城で、遠征から帰った天流を彼はいつも穏やかにそう言って迎えてくれた。
今もまた、苦しげな様子も見せずに柔らかく天流を労わる。

「今、帰ったよマッシュ。解放軍の勝利だ」

その言葉にマッシュは優しく微笑み、そして辛そうに眉を寄せた。

「私は、後悔しているのかも知れない・・・」

「マッシュ・・・」

哀しげに自分を見つめる天流の、戦いによって傷付いた姿に胸が痛む。
いったい、何度彼は心身に傷を負ったのだろう。

――戦争などなければ・・・

今更後悔しても詮無いことだ。だが・・・。

「ティエン、1つ・・・約束してくれませんか?」

静かに、低い声でそれは紡がれた。

「できることなら、二度と・・・戦争に関わらないでほしい・・・。もう、貴方に戦争で傷付いてほしくはない・・・」

切なる願いを、天流はしっかりと受け止めた。

「約束する、マッシュ。二度と、戦争に関わらないと」

応えに、少しだけ安堵する。

右手に宿る紋章のために、これから天流が歩む時間は途方も無く永いのだろう。
そんな中で、やむを得ず戦争に巻き込まれることもあるかも知れない。約束で彼の心を縛る気は無いが、大儀のない無益な争いにだけは関わってほしくはない。

(どうか、これからはご自分のことを考えて生きて下さい・・・)


「ティエン・・・いつでも・・・セイカの村に来て下さいね・・・。待っていますから・・・」

一瞬ハッとして、天流の顔が泣きそうに歪んだ。

それは、二人の約束。


『私は家に帰りますよ。貴方が旅の途中にトランに立ち寄った時、私に会いに来やすいでしょう』

『・・・うん、そうだね。トランに来れば、真っ先にマッシュの家に行くことにするよ』



そう言って笑い合った日のことは、今も鮮やかに甦る。


「うん・・・行くよ・・・だから・・・」

――待っていて・・・


一粒だけ、琥珀の瞳から零れ落ちた雫がマッシュの頬を濡らし、流れた。

天流の涙を拭おうとしたのか、ぎこちなく伸ばされたマッシュの手が白い頬を優しく撫で、柔らかく微笑む。


そして、その手は力が抜けたようにパタリと落ちた。



「―――・・・・・・マッシュ・・・」


頬に触れると、わずかなぬくもりが感じられた。

軽く綴じられた瞼。
だが、その瞳は、二度と開かない。

好きだった穏やかな声も、その口から流れる叡智溢れる言葉も、二度と聞くことはない。


常に傍にいてくれた。支えてくれた。
心からの信頼と尊敬を抱き、命すら預けていた。

家族でもなく、友人でもなく、恋人でもなく。
けれど、“特別”な存在。



「おやすみ、マッシュ・・・・・・ありがとう・・・」


もう、ゆっくりと休んでいい。
貴方の役目は、終わったのだから。

疲れた心と身体を癒して、静かな村で釣りを楽しんでほしい。


そしていつか、貴方に会いに行った時には――いつものように迎えてほしい――


二度と動くことのないマッシュの手を握り締め、顔を臥せた。
徐々に熱を失い、冷たくなる体温に二度とは戻らない温もりを思う。



ソウルイーターが、淡く光った。







天流とマッシュが最後の会話を交わしている頃、シーナはアップルを連れてテントから離れた場所に移動していた。
あの場に留まっていたらアップルが騒いでルックが本気で怒りかねなかったのだ。

「なんで貴方は私の邪魔ばかりするのよ!!」

シーナと二人っきりになった途端、アップルは激しい感情を彼にぶつけた。
対してシーナはいつもの飄々とした態度を崩さず、

「あー、ごめんな、俺アップルちゃん好きだけどティルの味方なんだよね」

「な、何なのよ! あんたもテンプルトンもルックも皆、皆ティエンさんばかり! 私はマッシュ先生の弟子なのよ!?」

「そんなこと言われてもさ、あの場合は仕方ないでしょ」

「何言ってるのよ! そもそもマッシュ先生があんな目に遭ったのはあの人のせいじゃないの! あの人に先生の傍にいる資格があるの!?」

憎しみにギラギラと燃える瞳がシーナを映す。

やはりテントから離して正解だった、とシーナは内心で大きく溜息をついた。
こんな言葉を絶対に天流に聞かせたくなどない。
ルックならば今度こそ容赦なく『切り裂き』を彼女に向かって放つだろう。

彼女の悔しさや怒りも解らないわけではない。
だがやはりシーナはあくまでも天流側の人間で、彼女の言葉には同情以上に怒りを覚えた。

(あんたはティルを責めるだけで、あいつのことを何も知ろうとはしないんだな・・・)


「アップルちゃんはさ、軍師を目指してるんじゃないの?」

「あ、当たり前のこと言わないでっ」

「だったら解るはずじゃねえのか? マッシュにとってティルがどんな存在なのか」

「!」

何の感情も映さない瞳は微動だにせず、思わず息を呑んだアップルを鋭い視線で見据えた。

「あんたがどう思っていようが、マッシュにとってティルは唯一無二の大切な主君なんだ。
たとえ弟子だろうが、あいつらの邪魔していい訳じゃねえんだよ!」

バシンッという音と共に、シーナは頬に衝撃を受けた。

「な、何よ、偉そうに! あんたなんかに言われなくたって、私は・・・っ」

涙に詰まって続く言葉は声にならなかった。
せめてもの反撃になればとアップルはキッとシーナを睨み付け、踵を返して走り去った。
必死に泣くまいとしていたようだが、おそらくあの分では一人になれば大声で泣くのだろう。

シーナは自嘲気味に笑って額に手を当てた。

「・・・あーあ。女の子を泣かすなんて、俺ってサイテー」

言葉は冗談じみていても、自己嫌悪の色が濃い。

だが、自らの矜持を曲げてでも、シーナにとって優先すべきなのは唯一人。
天流・マクドールという何よりも大切な友人だ。


(あいつが傷付くくらいなら・・・いくらでも悪役になってやるさ・・・)


日暮れを迎えようとしている空を見上げ、シーナはそう一人ごちた。







「大丈夫かな、ティエン」

しんと静まり返ったテントを心配そうに見つめ、テンプルトンが呟いた。
彼と共に天流を待つルックは静かに腕を組んで佇む。

二人の間に会話はなく、それっきりどちらも沈黙した。



重苦しい雰囲気の圧迫感の中、ルックの脳裏にほんの一日前に耳にしたある呟きがふいに形を為す。


『何で、あいつばかりがこんな目に・・・っ』


悲痛に歪んだうめきだった。

「何故・・・君だけが・・・」

微かな声。
それはテンプルトンにさえ聞こえないほど小さな呟き。
ルックの澄んだ翡翠の瞳には、剣呑な炎が灯った。


――誰にも、何者にも、ここまで君を追い詰める権利などない・・・


右手に感じる違和感が、テントの中で起きている事象を正確に知らせる。
引き裂かれそうな胸の痛みは、彼のもの。


“何か”に対して、身を焦がすほどの怒りを覚える。



「・・・許さない・・・」



誰の耳にも届かない呟きは、どす黒い執念の響きを含ませて風に吹き消された。



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これで解放戦争は終わりです。
テンプルトンはフッチ同様、坊ちゃんを兄のように慕ってます。
彼は地図職人ということで、優れた地理の知識で軍主や軍師と接する機会も多く、
必然的に親しくなっていたと思って、テント前に立って頂きました。
アップルとは最後まで解り合えませんでした。
彼女は解放戦争時代はあんな感じで、3年の間に成長するんだと思います。

次回は坊ちゃんの旅立ち。『空の彼方』完結です。



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