33.暁の空へ





「解放軍が勝利されたのですね」

解放軍の居城、トラン城の最上階の一室を訪ねた天流に、部屋の住人であり、現在は監禁状態にあるサンチェスはそう言葉を掛けた。問いかけというよりも、確認だ。

頷く天流に、この数日で随分とやつれた初老の男は「そうですか」と深い息とともに言った。

「ティエン様、この私に裁きを・・・。オデッサ様を・・・マッシュ殿の命をも奪った愚かな者を・・・どうか」

「そうだな。解放軍を裏切り、オデッサさんやマッシュを始め、多くの命を奪った罪は許されることではない。――だからこそ」

一拍を置いて、天流はきっぱりとサンチェスに告げた。

「お前は生きて、新しく生まれるこの国をその目で見て、変わりゆくものを感じろ」

「!?」

生気の失せた目が驚きを浮かべて天流を見た。

「オデッサさんが目指し、我々が手に入れたものを命ある限り見続けろ」

何を言われているか、すぐには理解できなかった。
思い掛けない事態に困惑するサンチェスに、天流はさらに続ける。

「簡単に死を選ぶことは許さない。この戦争で命を落とした人達のためにも」

「ティエン様・・・」

徐々に浸透していく言葉に戸惑い、その思いが凍り付いていた心を震わせる。


「これが、僕にできる・・・お前への復讐だ」


あまりにも厳しく、哀しく、そして優しい“復讐”。
本当は、あの時のフリックのように裏切り者の身を切り刻んでもまだ飽き足らないだろうに。

赤月帝国に忠誠を捧げた人間にとっては、滅び行く帝国の姿を見るのは身を切られるよりも辛いことだ。
罪を背負いながら生き長らえることは、あまりにも哀しい。
しかし、共に解放軍の一員として戦った者としては、新しく生まれる国の成長を見守ることに喜びを感じる。


心を満たす激しい感情に声を詰まらせ、サンチェスは無言のまま深く頭を下げた。





部屋を出ると、シーナが壁に背を預けてこちらを見ていた。
護衛を兼ねて天流に同行していた彼は部屋に入ることはしなかったが、サンチェスがおかしな行動を起こせばすぐにでも乗り込めるように扉の前で彼らの様子を伺っていたのである。

天流が部屋を出たと同時に彼は警戒を解いて、気遣うように言った。

「これで良かったのか?」

「誰かが死ぬのを見るのは、もう嫌だから」

「・・・そっか」

本当に、たくさんの死を見てきた。
そんな状況でも天流が決して“死”に慣れたりしないことに安堵を覚える。
“死”や“狂気”に慣れてしまえば終わりだ。あらゆる意味で。
天流は決して慣れないからこそ、心がひどく傷付く。

“大丈夫か?”

そう問いかけたいのをぐっと堪え、シーナは天流と肩を並べて歩を進めながら明るく言った。

「ところでさ、ルックはどこに行ったんだろうな?」

「さあ。魔術師の塔に戻ったのかも知れないな」

戦争が終わり、天流はマッシュと、シーナはアップルと話し込んでいるうちに、いつの間にか風の少年は姿を消していた。
最後に一緒にいたテンプルトンが言うには「何も言わずにいきなり消えた」ということだ。かの少年の気紛れ故の突飛な行動は、今に始まったことではないが。


「お前はこれから、どうするんだ?」

「――僕にはまだ、やるべきことがある」

応えに少し間があったことに気付きながらも、シーナは再び「そっか」とだけ言った。

彼はすでに気付いていた。
天流が、トランの地に留まる意志のないことを――。

シーナの父親などは、新しい国の元首を天流として誠心誠意粉骨砕身の精神で仕えるのだと、訪れる遅い青春に心ときめかせていたが、そんな父の夢は叶わないだろうと察していた。
じきに、天流は誰にも気付かれないうちにこの地を去る。

出来ることならば共に居たい。どこへともなく旅立つであろう、大切な友人の傍に。
だが、きっとこの頑固な少年はたった一人で行ってしまうのだろう。誰にも頼らずに――。

それは当然ルックも気付いているはずだ。
ならば彼は必ず、天流が決断をするまでには戻るとシーナは思った。
他の者ならまだしも、ルックは天流にだけは別れを告げると。


(せめて俺達には一言くらい声を掛けて行ってくれよな、ティル)


いつ何時姿を消すとも限らない横顔をそっと見やりながら、そう願った。





■■■■■





帝国軍と解放軍の戦いは解放軍の勝利で終わり、間もなく両軍は停戦宣言を出した。

多くの帝国軍兵士は投降し、新しく生まれる国に仕えることを選んだが、あくまでも皇帝への忠誠を貫き、解放軍に屈することを拒む兵達も決して少なくはなかった。
ある者は怨みの言葉を吐いてグレッグミンスターから姿を消し、ある者は解放軍に刃を向けて返り討ちに遭い、捕らえられた。主を失った軍は脆く、すでに解放軍の敵ではない。
それでも無意味に高いプライドと、過去の栄光に縋り付きたい彼らは変化を厭う。特にこれまでの地位を失う貴族や軍人にしてみれば、忌々しいことこの上ないのだろう。

しかし、時代はすでに大きく移り変わろうとしている。
天流の指揮の元、着々と新しい政権の基盤は整えられていった。

マッシュがいない上に、レオン・シルバーバーグと論議した様子もないというのに、いつの間にこれほどの完成された案を纏めたのかと誰もが驚きを隠せない。
真相を知るのは、マッシュが凶刃に倒れた日、軍主と軍師が何時間も語り合っていたその場に居たリュウカンだけである。




戦争の終結から数日。
この日も幹部達と共に戦後処理の会議で一日を費やした天流は、自室に戻ってからは何をするでもなく佇んでいた。
武人にしては細い体を机に軽く凭れ掛けて俯き、戦争中には強い輝きに誰もが魅入られた琥珀の瞳はうつろいで、虚無とも哀しみともいえる色を宿す。

すると、ふいに窓から一陣の風が舞い込んだ。

「何してるわけ?」

声とともに現れたのは、ルックだ。
数日振りに現れた少年はいつもの無表情で天流の前に立ち、ふと視線を巡らせる。
天流が凭れる机の上に置かれた見慣れた手鏡と折り畳まれた紙を目にすると、微かに顔を顰めてそれに手を伸ばした。

「レパントへの手紙だ」

ルックの手が触れる前に天流が言う。

「トランは、彼に任せる」

「出て行くの?」

「僕はもうこの国に必要ないから」

「瞬きの手鏡も?」

「僕には必要ない」

それっきり天流は口を噤んだ。
ルックも何も言わずに手紙を手に取り、勝手に内容に目を通す。
それは言葉の通り、新しく誕生したトラン国をレパントに委ねる旨を記した委任状だった。

誰もがこの国は天流が治めるものだと考えていたことはルックも知っていた。それに異を唱える人間はいないことも。
しかし、天流自身がどういう考えでいるのかは誰も知らない。

(これがその答えか)

まあ当然だろうねと、ルックはあっさり納得する。
彼もシーナ同様、天流はトランに留まらないと考えていたので特に驚きもない。

手紙を折り畳んで元の場所に戻し、視線を天流に移す。
途端にルックは意外そうに目を開き、天流を除き込むように身を屈めた。

「泣いているの?」

冷静な彼には珍しく戸惑いを露にする。
遠慮がちに伸ばされた細い指が撫でる白い頬には濡れた跡はないが、琥珀の瞳は微かに潤み、柳眉が顰められている。

「辛い?」

困ったように問われ、天流は頭
(かぶり)を振る。

「悔しいだけだ・・・」

「悔しい? 家族や友人を助けられなかったから? それとも・・・仇を討てなかったから?」

びくっと天流の肩が震えた。

ルックはそっと天流を抱きしめ、肩口にその顔を埋めさせる。

「最後なんだからさ、少しくらい弱音吐きなよ」

逡巡しているのか、しばらくは無言が続いた。
ルックは黙って彼の言葉を待つ。

天流の仇――ウィンディは彼が手を下すことなく皇帝バルバロッサと共に闇の底へと落ちていった。
二人の死体が見つかったという報告はまだ無いが、崩れゆく瓦礫と共にあれほどの高さから落ちたのだ。人の姿を留めている可能性は少ない。


「僕は・・・自分自身の願いは何一つ叶えることができなかった・・・」

消え入りそうなほどか細い声で囁かれる言葉に、静かに耳を傾ける。


天流の願い、それは――親友を助けること。家族と一緒に家に帰ること。
ささやかながらも当然の願いだった。

帝国に苦しめられる国民を助けたいと願ったことも、自分を慕う解放軍を導いていきたいと思ったのも真実
(ほんとう)
しかしそれらの根底には、平和の戻った国で家族や親友と共に昔のように暮らしたいという願いがあったからこそ戦ってこれたのだ。
それなのに兄のような存在だったグレミオやパーン、父親テオ、親友のテッド、そして最も信頼しているマッシュまで失った。今、天流の家族はクレオただ一人しか残っていない。


「護りたかったのに・・・僕は護られるだけだった・・・」

「後悔しているの?」

ルックの問いに天流は彼の肩でゆっくりと首を振る。

「自分が情けないだけだ。護りたいものも護れなかった人間が、何故、英雄などと称えられるのか・・・」

天流の思いはどうあれ、彼が赤月帝国を滅ぼし、トラン国民に自由を取り戻したことに変わりは無い。
そして彼が次々に家族を亡くしていった悲劇は、英雄の神秘性を際立たせる結果となる。

「僕がしてきたことを無駄だとは思わない。でも・・・その代償は大き過ぎる・・・。帝国を倒したのに素直に喜べないんだ・・・。・・・・・・しかも・・・」

言葉を切り、天流は気持ちを鎮めるように深く溜息を吐く。

「あれが・・・父が命を掛けて仕えてきた王の最期なのか・・・・・・っ!」

搾り出すように吐き出された声に、ルックは理解に至った。
天流は今、心の底から怒っているのだと。
伏せたその瞳は、おそらく真紅に彩られているだろう。
風がルックに伝えるのは、天流の深い哀しみと押さえきれない悔しさ、それに勝る思いは行き場の無い怒りだ。

「皆、命を掛けて僕を護って・・・父上やアイン・ジード殿は僕と戦ってまでも、武人として陛下のために忠誠を貫いたのに・・・っ」

縋るようにルックの腕に触れた手が、小刻みに震える。


「その陛下が何故あのような死を選ぶんだっ!」


悲痛な叫びには、抑える術もない感情が込められていた。

国を操ろうとした女魔術師を抱いて城の最上階から飛び降りた皇帝の姿は、国王の最期に相応しいものではなかった。
過去がどれほど栄光に包まれていても、後世玉座に着いた後は愚君として語られるだろう。

それが悔しくてならなかった。
彼のために心ある武人達が命を掛けたというのに。
人々を苦しめた帝国を許すことはできないが、赤月帝国の名誉を汚す気などはなかったのに。

せめて最期は、誇りある死を遂げて欲しかった――。



静かに話を聞きながら、ルックは天流の言葉から1つの可能性を思った。
バルバロッサの後年の愚行は、解放軍リーダーの栄光を更に際立たせる。赤月帝国の名は地に堕ち、解放軍の名声は高まるだろう。
もしかすると、これが皇帝なりの民への、そして天流への罪滅ぼしなのかも知れない。

(どいつもこいつも馬鹿ばかり)

心の中で吐き捨てると、ルックは浮かんだ考えを打ち消した。どのような理由があろうとも天流を傷付けたことに変わりなく、それこそがルックにとって許し難いことだ。

「君が気に病むことではないだろ。皇帝としてではなく、一人の愚かな男としての死を選んだのは皇帝自身だ」

「一人の男・・・か」

ぼんやりとした呟き。

「彼は幸せだったのだろうか。国よりも、民よりも、一人の女性を第一として生きて・・・」


『聞けば、不快になるかも知れんぞ。おそらくそなたは、私のような理由で戦うことはない』

何故、民を裏切ったのかと問い詰めた天流に、穏やかにそう語った皇帝を思い浮かべる。
彼が選んだのは国でも民でも、ましてや信頼する部下達でもなく、たった一人の女性。彼女のためにすべてを犠牲とした。
国王として、人として、彼の行為はあまりにも身勝手だ。
だが、愛する人の為に生きることは――何よりの幸せなのかも知れない。

責任感が強過ぎるあまり、誰か一人を優先することのできなかった天流とはまるで違う。
本人にとって、いったい、どちらが幸せなのだろうか・・・。


「僕は、正直理解できないね。あんな女の為に人生をフイにしたあの男のことも、ひたすら責任を果たし続けた君も」

不快を滲ませた声に顔を上げると、真剣過ぎる翡翠の双眸があった。


「でも、これだけは言えるよ。もしも100万人の命と君が秤に掛けられたなら・・・

     僕は迷わず君を選ぶ――ってね」


これまで、散々天流は戦争に翻弄され、傷付いてきた。人々の思惑が、感情が引き起こした戦争に。
だったら、天流を追い詰めたものに何を義理立てる必要があるだろうか。
ルックにとっては全ての人間と比べても、天流よりも大事な存在などない。


「・・・ルック・・・」

「そういう意味では、僕は皇帝に近いのかも知れないね」

返答に窮し、ルックを見つめたまま立ち尽くす。
当惑の中にほんのりと潜む嬉しさは自分が彼にとって特別な存在なのだと認識できたからか。

咎められるだろうかと思っていたルックは、何も言わない天流に安堵する。

「じゃあ、行くよ」

「え?」

身を離すルックを、天流は目を丸くして見つめた。

「行くんだろ? グレッグミンスターに。もうこの城にも解放軍にも用はないんだから」

唖然となる天流に、我が意を得たりとばかりに微笑む。
やがて冷静さを取り戻した天流は「適わないな」と呟いて、纏めてあった少ない荷物を手にする。

1年以上の時を過ごした広い室内をゆっくりと見渡し、二人は部屋を出た。

向かったのはクレオの部屋だ。
連れ立って現れた二人を、彼女は待っていたかのように微笑んで迎えた。

「それじゃあ、準備は良いね」

「待って、ルック。シーナに何も言ってない」

すぐに呪文の詠唱に入ろうとするルックに、少し焦ったような天流の制止の声が掛かる。
ルックのこめかみに青筋が浮かんだ。

「要らないよ、そんなもの」

「待っ・・・」



一瞬後には、三人の姿はそこになかった。






久しぶりに戻ったマクドール邸は、1年以上経ったにも関わらず、あの時のままだった。

クレオが鍵を開けて中に入ると、少し埃っぽく濃い空気が満ちていた。
どの部屋も手は付けられていない。
テオは一度でも戻ったのだろうか。それとも。

「もっと荒らされているかと思った」

「ソニア様やアイン・ジード様が管理して下さっていたそうですよ」

「・・・そうか・・・」

知らされた事実に感慨深げに表情を緩める。

いつか、お礼を言おう。
ソニアと笑顔で再会できた時、そしてアイン・ジードの墓参りが出来た時には、きっと。

クレオを1階に残し、天流とルックは階段を上った。
数在る部屋の1つの扉を開くと、出て行った日のままの天流の部屋があった。
一瞬、昔に戻ったような感覚を覚える。
自室にはたくさんの思い出が詰まっていた。
グレミオ、パーン、テッド、テオと過ごした日々の一つ一つが鮮明に思い出される。

整頓された机の上には、天流の日記がある。
毎日つけていたわけではないが、楽しかったことも哀しかったことも大切な思い出として書き留めた日々。手に取って開くと、一番新しい日付は・・・すべてが変わった日だ。
その後は白紙。
ペン立てから1本を手にすると、天流は今日の日付とともに何かを書き込んだ。
パタンと日記を綴じて元の場所に戻す。

顔を上げて振り返ると、本棚を見つめていたルックと視線が合った。
彼は無造作に法衣を探ると何かを取り出して、天流に差し出した。

「?」

思わず受け取ったものは、シンプルながらも品の良いデザインのネックレスだ。
チェーンの先にある装飾品を見て、天流は驚きを浮かべた。

「これ、君の・・・」

ルックの瞳と同じ翡翠の輝き。
見覚えのあるそれは、常にルックの額にあったサークレットに付いていたもの。
そういえば、今彼の額には何もない。

「加工したんだ。君が持ってて」

数日間所在不明だったのは、この為だったのか。

「いいの?」

「いいからあげるんだよ」

照れているのか、視線が逸らされ口調もそっけない。
優しい瞳でネックレスを見つめると、さらに何かに気付いた。
翡翠の石と共に飾られているのは、これもまた見覚えのあるもの。

「オデッサさんのイヤリング・・・?」

「大事なものなんだろ? 無くさないように一緒に加工した」

何気なく言うが、いったい彼はいつの間にこのイヤリングを持ち出したのだろう。
天流にさえも、まったく気付かせなかったその手腕は見事の一言に尽きる。
呆れていいのか、喜んでいいのか。
そう思ったのも束の間で、天流はそっとルックを抱き締めた。

「ありがとう」

精一杯の感謝を込めて囁く。

「どういたしまして」

ルックもまた、優しく天流を抱き締めた。





部屋を出た天流達が階段を降りると、クレオが待っていた。

「行かれるのですね?」

何もかも解っているというように微笑み、クレオは手にしていた若草色の布を差し出す。
天流は両手で大切そうに受け取り、バサッと布を広げて羽織った。

「グレミオの物ですから大きいですね」

「そうだね。でもこれで良いよ。ありがとうクレオ」

肩口で幾重にか巻いたマントは全身を覆い、少年の細い身体にはやはり大きい。

「マントに埋もれてるね」

あまりにも正直過ぎる感想を、ルックが述べた。
流石にショックなのか、天流の据わった目がルックを一瞥し、続いて笑いを堪えているクレオに向けられる。

「クレオ、もしもシーナがここに来たら、この手紙を渡してほしい」

折り畳まれた紙を受け取ったクレオが「解りました」と頷くと、天流は腕を伸ばして彼女と抱き合った。

「お気を付けて、坊ちゃん」

「クレオも元気で・・・」

互いの頬に親愛の口付けを交わし、二人は身体を離した。



邸を出ると、街は暗闇に包まれていた。
夜が更けてしばらく経つ。こんな時間に起きている人は少ないだろう。

そんな真夜中にも関わらず、城を見やれば煌々と明かりが灯っているのが見えた。
現場では今も崩れた建物から遺体や生存者を掘り出す作業が進められているはずだ。
幸い、戦争で崩れ落ちたのは城の一部に留まり、ほとんどが無傷だった。強固な城はグレッグミンスターの中心的建造物でもあることから、新政府は城を官邸とすることに決定している。
現在は建て直す作業が始まったばかりだ。

「あの馬鹿二人はまだ発見されないみたいだね」

「・・・うん」

天流の表情が心配に曇る。
城に残された二人の傭兵の安否は、まだ確認できない。

「彼らなら、大丈夫だと思うけれど」

「だろうね。生きていてもらわないと、僕達が殺(や)れないし」

「・・・・・・え?」

何かものすごく不穏な言葉を聞いたような気がした。
発言元のルックを見やると、涼しい顔で「何?」と問う。
気のせいか、と思いたいところだ。無理にでも。


天流はもう一度、記憶に焼き付けるかのように邸を見上げた。
愛しく、切ない思い出を大切に胸のうちに仕舞い込み、振りきるように背を向ける。

そのタイミングを見計らったかのように、風が二人の少年を包み込んだ。





さわさわと、草のこすれる音がする。
二人が降り立ったのは、グレッグミンスターから遠く離れた平原だった。

「本当にこんな所までで良いの?」

「うん、後は自分の足で歩くよ」

ぐるりと周囲を見渡し、天流はルックを振り返って右手を差し出した。
すぐに意図を察し、ルックは自分の右手を彼の差し出されたそれに重ねる。
初めて出会った日も、こうして手を重ね合った。人との接触に慣れていなかったルックは、恐る恐る彼の手に触れたことを思い出す。

「ルックには色々と世話になったね」

「これから、どこに行くのさ」

「さあ、何も決めていない。でも、とりあえずは・・・」

星の散らばる夜空を見上げて考え込む素振りを見せ、ふと遠くを指差した。

「この空の向こうまで、行ければいいと思う」

「行けるんじゃないの。君の時間はたっぷりとある」

一緒に行こうか?という言葉が喉元まで出掛かったが、ルックはそれを呑み込んだ。
天流が望んでいるのは、一人の時間だろうから。

「これまで頑張った分、ゆっくりと時を過ごしなよ。――ただ」

ふと、風が吹いた。二人の髪をそっとなびかせ、通り過ぎる。
月明かりが淡く照らす夜の闇の中、互いの顔がよく見えるほどに寄り添うルックの瞳は真剣そのものだ。

「死ぬことだけは許さないからね」

「うん。気を付ける」

死んでしまったら、もう会えないからね、と続ける天流に、ルックは「それだけじゃない」と返す。

「死んだ目をした君と再会したくなんかない」

たった一人で旅立つ君をこうして見送るのは、傷付いた心と身体を癒した君とまた会える日への始まりとしたいからだ。
決して死に行く者を看取るためなどではない。

「解った。ありがとう・・・」

ルックの優しさがじんわりと胸に染み入り、その温かさを噛み締める。
微笑もうとしたが、彼の顔は笑みを象らなかった。
マッシュの死を境に失ってしまったものは、数日経っても未だに取り戻せない。
そんな自分にもどかしさを感じながらも、天流はゆっくりとルックから離れた。


「それじゃあ、またね」

「ああ」


名残惜しげな視線を交わし、天流は静かに背を向けた。
広大な平原の中で寄り添っていた2つの影が、少しずつ離れて行く。

風に靡かれながら遠ざかる若草色の後姿を見つめながら、ルックはひたすらに渦巻く衝動を抑え込んでいた。

離れて行く手を掴みたい。遠ざかる背を追い掛けたい。
これほどまでに激しい感情を、彼は知らなかった。

しばらくの間、別れるだけなのに。
解放軍に参加する前までの生活に戻るだけのことなのに。
何故、こんなにも胸が痛むのだろう。


「・・・ティル・・・」

何なのかは分からない。だが、喪失感と焦燥感が心を支配する。

思いを振りきるように、わけの解らない感情から逃げるように、ルックは風を纏った。



一陣の風が吹き抜けた後には、そこに人の気配はなかった。


始めから誰もいなかったかのように、夜の静寂だけが平原を覆う。





この夜が明ければ、きっとトランは大騒ぎとなるだろう。

誰もがリーダーの姿を捜し求め、手を尽くして捜索するに違いない。





だが、その頃にはもう彼の少年は誰の手も届かない



   暁の空の彼方――










FIN.






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