「ビル! ベン!」
悲痛な叫びが広い部屋の中に響いた。
鋭い金色の瞳に悲しみを湛え、青年はその端正の取れた顔立ちに苦渋を浮かべて膝を付く。
彼の後ろには戦士姿の少年と少女が悲しげな表情で佇んでいる。
秀麗であった部屋は、先程までの激しい戦闘の跡を生々しく残している。
彼等三人はその戦闘の勝者であった。
だが、かつての仲間との戦いで勝ったとしてもそれがいったい何になるだろう。
青年は、何故戦わねばならないのか、と誰にでもなく問い掛ける。
返って来る言葉などない。
すでに消え去ったかつての仲間が、確かにそこにいたという痕跡は否応無しにも、昔に戻れない残酷な現実を彼に突き付ける。
彼を心配する視線に気付いた青年は、ゆっくりと身体を起こした。
悔しさは、怒りに変わる。
「行こう。二人とも」
内心の煮えたぎる思いを必死に押さえ込んだその声音からは、彼にとって二人の仲間がどれだけ大切な存在であるかが伺える。
八つ当たりなどしない。
だけど、後で甘えさせてほしい。
無言の訴えを受け止めて二人は頷いた。
少女は目の前の青年の痛みを敏感に感じた。
彼の辛そうな表情は彼女の胸を抉る。
部屋の奥に進む青年に続きながら、少女の可愛らしい顔立ちにも苦悩が浮かぶ。
そんな少女の思いを断ち切るような鋭い声が、青年から発せられた。
「イザべラ!」
前方の玉座に悠然と腰掛ける魅惑的な女性に、青年は手にしたダガーを構える。
少女の表情もまた、険しさを帯びる。
女性の座る玉座は本来彼女の座るべき場所ではない。
少女の胸に悲しみと憎しみが溢れる。
三人の青年と少女から激しい怒りの感情を向けられても、その女性は微動だにしなかった。いや、それどころかそれを楽しんでいるようにも見える。
「追い詰めたぞ! 観念しろっ!」
「あら、坊や。まだ生きてたの? イザベラか…」
一拍の間を置いて、女性は小馬鹿にするような笑い声を上げた。
「ホホホ、そういえばそう名乗っていた事もあったっけ」
「お前はいったい何者だ! ナバールやローラントを占領して何をしようとしている!?」
青年の激しさと反対に、女性はどこまでも冷静だ。
「フフフ…、私は『美獣』。黒の貴公子様にお仕えしている」
「くそーっ! イーグルの仇!」
青年の怒りが爆発した。
怒りに任せて美獣と名乗った女性に斬り付ける。
刃が玉座の美獣に突き刺さろうとした時、彼女の身体は宙に浮かび上がった。
ダガーの刃は空を切って、青年は悔しげに美獣を見上げる。
「ホホホ、物忘れが激しいようね。私を殺してもいいのかしら?」
その言葉に青年の身体がびくっと強張った。
「クッ! 死の首輪か…」
うめくように発せられた言葉に、美獣は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「フフン、そうさ! ジェシカの命、私が死ねばどうなるんだっけ?」
きつく唇を噛み締めて、青年はダガーを降ろして俯く。
ダガーを握るその手が、小刻みに震えていた。
押さえきれない怒りと悲しみが全身から溢れているようだ。
そんな青年を見下ろしながら、美獣の身体が空気に溶け込むように薄れていく。
「待てっ!」
剣を手に、戦士風の青年が一歩を踏み出す。
美獣は三人の青年と少女の怒りに満ちた視線を受け流して、流れるような動作で左手を上げ、一際激しい憎悪を剥き出している青年に翳す。
「これは坊やへのプレゼントだよ」
言葉と同時に左手より発せられた黒い球体が青年に向けて放たれ、青年の全身を包み込む。
「?」
先達ての戦いで疲れていたせいもあって、咄嗟に逃げる事のできなかった青年を包んだその黒い球体は、電流のような衝撃を発して青年の全身を駆け巡った。
「ぐっ!」
一瞬だったがあまりにも強い衝撃に青年の気が遠くなった。
無重力感に捕らわれ、青年の身体が傾く。
「アーッハハハ!」
「ホークアイ!」
薄れかけた青年の脳裏に女性の嘲笑と、少女の悲鳴のような声が聞こえた。
しかし、それはいつしか霧の中に覆い隠されていった。
(・・・リース・・・・・)
それが青年の頭に残った、最後の言葉だった。
そうして心は色を失った。
目が覚めると見知らぬ天井が視界に広がって、彼は戸惑った。
いつも見なれていた石造りの天井ではなく、簡素ではあるが立派な建物だ。
その時点で彼には、ここが生まれ育った要塞の中ではないという事が解った。
では、ここはどこだろう。
とても立派な屋敷である事は、彼の研ぎ澄まされた洞察力からすぐに理解できた。
身体を起こそうとして目が眩み、彼はまた寝台に身体を横たえた。
ふと見ると彼の寝ているその寝台も高級なものだ。着せられている寝間着も、掛けられた上掛けも、部屋の中に置かれた調度品も、一目で値打ちのあるものだと解る。
(ここはどこだろう…? 俺はいったいどうしたんだ?)
思い出そうとしても頭の中が霞のようなものに覆われて、思い出す事ができない。
何かとても大切な事があったはずなのに。
今度は極力ゆっくりとした動作で彼は身を起こした。注意すれば先程のように目眩はしない。
彼の動きに、微かな衣擦れの音を立てて身体に掛けられていた絹の上掛けが滑り落ちた。
その時、広い部屋の一角にある扉が静かに開かれて、彼は身を硬くした。
しかし、その警戒はすぐに当惑に変わった。
現れたのは一人の少女だ。
絹糸のように細く美しい金の髪を長く伸ばし、愛らしい顔立ちに湖面のように澄んだ瞳が映える美少女。
共に暮らしてきた、妹のような少女と同じ年位であろうか。
その少女もとても可愛らしい少女だったが、金の髪のその少女はどこか彼女とは違っているように思われた。
金の髪の少女は寝台に身体を起こして彼女を見つめている彼の存在に気付き、大きな瞳を驚きに見開いたが、すぐに安堵したような微笑みを浮かべた。
花のようだ、と彼は思った。
大切に育てられた可憐な花のような風情が彼女にあった。
か弱く、脆そうな少女。
だが、それではその少女の蒼い瞳に宿る意思の強さは何だろう。
彼の中に少女に対する興味が湧いた。
「気が付いたんですね? 良かった。どこか痛むところはありませんか?」
早足で寝台に駆け寄った少女は静かな、それでいて心配を含む口調で問い掛けてきた。
少女に見とれていた彼はその言葉にはっと我に返り、
「いや、どこも何ともない。ところでここは? 俺はいったいどうしたんだ?」
「イザベラ…、いえ、美獣の術を受けたのです。本当に、どこも痛みませんか?」
美獣・・・。
何故か彼の心が騒いだ。
心の奥からどす黒い何かが込み上げてくる。
目の前の少女を見たときとはまったく正反対の感情が溢れる。
「どうしました? 大丈夫ですか?」
少女の涼やかな声が耳をくすぐる。
その鈴のような音色が心に染み渡り、彼の内心の激昂が徐々に治まってきた。
「あ、ありがとう。大丈夫だ」
ほんの少し笑みを浮かべた彼を見て、少女も微笑みを浮かべた。
何故かそれが嬉しく思える。
「ところで、ここはどこなんだ? それに君は誰?」
瞬間、少女の表情が凍り付いた。
信じられない、というように彼を凝視する。
何か変な事を言っただろうか?
彼もまた戸惑った。
少女は凍り付くような思いで目の前の青年の端正な顔を凝視する。
切れ長の金の瞳が彼女を不思議そうに見つめている。
記憶を失っている・・・。
それはすぐに理解できた。
美獣は青年から記憶を取り去ったのだ。
美獣の事も、仲間の事も、自分達の使命も、そして青年の味わった苦しみさえも・・・。
彼女はどうしていいか解らずに困惑した。
全てを話しても混乱させてしまうだけだろう。
「私は…、私はリースといいます。ここは風の王国ローラントの城の中です」
内心の戸惑いと悲しみを悟られないように静かな口調でそう告げた瞬間、青年の表情が強張った。
「・・・ローラントの・・・リース王女か・・・?」
彼の声音は明らかに嫌悪感を含んでいる。
リースはハッとして片手で口元を覆った。
彼は王族の類いが大嫌いなのだという事を思い出したのだ。
出会った当初もリースが一国の王女である事を知って、彼はリースに対してよそよそしい態度で接していた。
やがて行動を共にしていくうちに、彼は飾らないリースに打ち解けていった。
『ごめんな、俺、君の事誤解していた。王族にも君のような人がいるんだな…。
これからは仲間として、改めてよろしくな、リース』
ある日面映そうにそう言ってきた彼は、その後少しずつリースに心を開いてくれた。
王女としてではなく、仲間として、普通の少女として見てくれるようになったのだ。
動揺していてリースはその時の事を失念していた。
うろたえるリースに注がれる青年の視線は鋭く、あからさまな敵意を含んでいる。
「俺をどうするつもりた? 他の仲間もここにいるのか?」
「え?」
ローラント城の地下には捕らえたナバール兵が何人かいるが、記憶を失っているのならその者達の事を言っているのではないはずだ・
リースは慌てて首を振る。
青年は胡散臭そうに彼女を見やったが、それ以上は何も言わなかった。
しかし、どうやら彼はすべてを忘れているわけではなさそうだ。
少なくとも自分が誰で、どこから来たのかは覚えているらしい。
「あの、あなたの名前と年齢、そしてどこから来たのか、言えますか?」
我ながら苦しい質問だとは思ったが、リースは問わずにはいれらなかった。
彼が自分の事をどこまで覚えているのかを確かめるために。
青年は眉を顰めてリースを不審そうに見やったが、ぶっきらぼうにその質問に答えた。
「俺の名前はホークアイ、数日前に17になった。出身地はナバールだ。それが何だと言うんだ?」
半年間の記憶を失っている。美獣がナバールに来る前だ。
リースは、そう直感した。
〈コメント〉
名前が出てなくてわかりづらいですね(汗)。
次からは解るようになりますので・・・。
ブラウザのバック推奨