ホークアイは、少女が泣き出すのではないかと焦った。
それほどリースのショックは大きかったのだ。
だが、気丈な少女は泣いたりして彼を困らせたりはしなかった。
「・・・すみません。あの、すぐに戻って来ますから、少しの間待ってていただけますか?」
微かに震える声でそう言って、リースはホークアイに礼儀正しく会釈をして部屋を出て行った。
残されたホークアイは身動きもせずに、少女の消えた扉を見つめる。
胸が痛かった・・・。
何が苦しいのかは解らない。だけど確かに彼の胸には言いようの無い哀しみが溢れていた。
リースは広い城の中を小走りに駆けて行った。
記憶を抜かれた彼の前で危うく泣き出してしまいそうだった自分を恥じる。
(私が泣いたところでどうなるというの? ホークアイを困らせてしまうだけなのに・・・!)
頭では解っているのだが・・・
彼女が目指したのはある一つの部屋だった。
部屋の前で立ち止まると、少し強めのノックをする。
「どうぞ」
中から返事が聞こえると、呼吸を整える間も惜しいとばかりに扉を開けて中に入る。
賓客用のその部屋には、青年が一人寝台に腰掛けていた。
濃い茶色の髪を肩まで伸ばした戦士風の青年。
鍛え上げられた肉体は鋼のように堅く、全体的に荒々しい印象を受けるが、その藍色の瞳は誠実で高潔な光を宿す。忠誠を重んじる騎士の雰囲気を持つ青年だ。
彼は駆け込んで来た少女を見て立ち上がる。
「どうしたんだ? リース。ホークアイは?」
リースの様子からただ事ではないと感じたのか、声が堅い。
「デュランさん・・・」
今にも泣き出しそうなリースに、デュランと呼ばれた青年は戸惑い慌てた。
どうすればいいのか解らないリースは、共に旅をするもう一人の仲間を真っ先に頼ったのだ。
困惑しながらもデュランは、リースを寝台に座らせて落ち着かせようとする。
彼のぎこちない優しさに励まされ、言葉に詰まりながらもリースはホークアイの様子をデュランに伝えた。
話しを聞き終えると、デュランは長い溜息を吐いてリースの隣に腰掛ける。
「くそ、美獣とかいったっけか、あの女・・・。まったく、とんでもねえ女だぜ・・・」
彼にも記憶喪失などというものをどうすればいいのかなんて見当も付かない。
しかもそれは、すべてではなくて半年ほどの記憶を奪われたとなると尚更厄介である。
その頃のホークアイはナバール盗賊団のシーフとして、悪人から金や宝を盗む毎日を送って、王族や貴族の類を心底嫌っていた。
美獣イザベラもその頃は居らず、彼は仲間達と共に充実した生活をしていたはずだ。
そんな彼に突然、今やナバールは美獣に操られていて、世界も滅びに向かっている。そして自分達は世界を救うために、フェアリーに選ばれて精霊を集める旅をしている、などと言えるはずもない。言ったところで信用などしてはくれないだろう。
「取り敢えず、ホークアイに会ってみよう」
ここで悩んでいても何も始まらないのだからと、デュランはリースを促して立ち上がった。
「そう、ですね・・・」
デュランならばホークアイと同じ歳でもあるのだから、彼も打ち解けてくれるのではないか。そう思ってリースはデュランと共に再びホークアイのいる部屋に向かった。
再び金色の髪の少女によって扉が開かれ、ホークアイは少女と、そしてその後ろの青年を見やった。
二人が並んでいる構図は何かおもしろくない。
わけの解らない怒りがホークアイの中に込み上げてくる。
「何だよ?」
知らず知らずに声もきつくなる。
そんな彼の態度に、少女の横に立つ青年は肩を竦めた。
「俺はデュラン、お前は?」
ホークアイにとって彼は初対面の人間なのだから、なるだけ刺激しないように話しかける。
「俺はホークアイ。おいお姫さん、どういうつもりなんだ? 何なんだよ、コイツは」
『お姫さん』
そう呼ばれたことにリースはひどく傷付いた。
これはホークアイが彼女を仲間とも、普通の少女とも認めていないということだ。
答えられないリースに代わって、デュランが自ら自己紹介をする。
「俺はリースの友達ってとこだな。ま、よろしく頼むわ」
軽い口調でそう言ってデュランは右手を差し出す。
ホークアイは差し出されたその手を一瞥して、
「ふーん、じゃあおたくも貴族か何かなわけ? そうは見えないけどな」
ホークアイの皮肉にカチンときたデュランだったが、何とかそれを隠した。
「いや、俺は草原の王国フォルセナの傭兵だよ」
デュランの言葉に、ホークアイは侮蔑するような笑みを浮かべた。
「ハッ、じゃあお上の犬ってことか」
王族だろうと、貴族であろうと、役人であろうと、ホークアイにとっては同じ穴のムジナだった。
だが、その言葉はデュランを本気で怒らせてしまった。
「何だとっ!」
元々プライドが高く血の気の多い彼だ。ここまで侮辱されては怒るなと言う方が無理だろう。
リースが止める暇もあらばこそ、デュランはホークアイに殴り掛かった。
その時ホークアイは、すでに普通に身体を動かせるくらいには頭がはっきりしていたので、デュランの攻撃をあっさりとかわした。
「本音を出したな! 俺はお前らのように権力を翳すような輩は大嫌いなんだ!」
「ふざけるな! 自分だけの曲がった了見で人を決め付けてんじゃねえ!」
お互いに手加減なしの殴り合いが始まった。
力ではデュランの方が勝っているが、機敏さではホークアイの方が上だ。
勢いよく振り下ろされるデュランの拳を素早くかわし、ホークアイの鋭い蹴りがデュランの鳩尾を狙う。
デュランは反射的にそれを避けたが、素早い蹴りは彼の頬を掠める。
だがすぐに態勢の整わないホークアイの足を払って、デュランの力強い拳が彼の腹に食い込んだ。
「ぐっ!」
くぐもった声を上げて腹を抱え、よろめくホークアイ。
そんなホークアイにデュランは攻撃しようとはしなかったが、ホークアイは左手で腹を押さえた格好で下から右拳を繰り出し、それはデュランの顎を直撃する。
「デュランさん!」
後方に倒れ込むデュランを後ろからリースが支えようとするが、一人の男の体重を受け止めることはできずに、一緒に倒れ込んでしまう。
胸にデュランを抱くような格好で、リースは立ち尽くすホークアイを見上げる。
「お願いです・・・。もう、やめて下さい・・・」
共に戦う仲間なのに・・・。
言えない言葉が一粒の涙となってリースの頬を伝う。
ホークアイから急速に戦意が失われていく。
彼は目の前の光景に激しいショックを受けていた。
倒れている青年を、金の髪の少女は優しく抱きしめている。
その光景に心が揺らぐ。ひどく動揺してしまう。
そんな自分に戸惑う。
「リース、悪い。カッとしてしまって・・・」
身体を起こしながらデュランがリースに謝罪する。
口の端が切れて血が滲んでいた。
そんな彼にリースは俯いて何度も首を振る。
「謝るのは私の方です・・・。ごめんなさい、・・・ごめんなさい・・・デュランさん・・・」
「リース・・・」
涙は見せないが明かにリースは泣いている。そう感じてデュランは優しくリースの肩に手を置く。
これ以上は見ていられないとばかりに、ホークアイは二人から目を逸らした。
鼓動が速い。全身が震える。
何故、こんなにも気持ちが揺れるのだろう。
何故、よく知りもしないデュランという青年を殴ってやりたいという衝動に駆られるのだろう。
何故、金色の髪の少女を、自分の腕の中だけに収めておきたいと思わずにはいられないのだろう・・・。
こんなはずではなかったのに・・・。
夜が更けた頃、自室の寝台に横たわってリースは痛む胸を押さえた。
昼間の出来事が彼女の眠りを妨げる。
あの時、リースは同年代のデュランと話すことによって、少しでもホークアイの気が紛れればそれでいいと思っていた。なのに、何故あのようなことになったのだろう。
あれからデュランとホークアイの間は険悪だ。
デュランは、リースに対してはいつもと変わらない態度で接しているが、ホークアイのことは口に出そうともしない。
そしてホークアイは・・・誰とも口を聞こうとしない。
昨日までは三人とも、とても中が良かったのに。信頼し合う大切な仲間だったのに・・・。
ホークアイの記憶喪失から三人の間に走った亀裂は、塞がるどころか広がる一方だ。
(お父様、お母様・・・、私はどうすればいいの・・・?)
助言を乞える存在も、もうすでにいない。
リースは激しい孤独を感じだ。
何度目かの寝返りを打った頃、リースは喉の渇きを覚えて寝台に身体を起こした。
脇にある棚の上に置かれた、白磁の水差しの水を水晶のグラスに注ぐ。
窓から差し込む月の光がグラスの水面に映し出された。
もう少しで見事な楕円を描くであろう淡い光。
導かれるように彼女はバルコニーに出た。
窓から見える月の光をぼんやりと眺めながら、ホークアイは今日一日に起きた様々なことを思い返していた。
まずはこの部屋で目覚めたのだ。
いつ、どうやって来たのかはまったく解らないが、ここはナバールから北東に位置する風の王国ローラントだという。
そして、金の髪の少女と出会った。
会ったことはないはずなのに、彼女を見た時に懐かしさと愛しさを感じたのは何故だろう。
少女が一国の王女であると知って衝撃を受けた。彼女が自分の嫌いな人種であることが信じられなかった。
その思いを無理に押し込めて冷たい態度を取る自分に、腹立たしさを覚えた。自分の態度に哀しげな表情をする少女を抱きしめたいと思った。その少女の隣に当然のように立っていた青年に、言いようのない怒りを感じた。
殴り合いにしても、決してデュランと名乗る青年が悪いわけではない。むしろ非は自分にあった。
解ってはいるのだが・・・・・・。
「くそっ」
小声で悪態をついて、ホークアイは寝返りを打つ。
同時に腹部に鈍い痛みが走って顔を顰めた。
デュランに思いっきり殴られて、腹には青痣が出来ていた。その腹痛のお陰で彼は食事が摂れなかったのだが、ホークアイはデュランを責める気などなかった。妬ましくはあったが、彼を嫌う理由などない。
確かに彼の言う通り自分は偏見に凝り固まっていたと、今になって思う。
リースにも、デュランにも、彼が今まで見てきたような「上の奴ら」的な部分はない。
(明日、二人に謝らないとな・・・)
しかし、二人に対して素直になれないであろう自分を感じて、ホークアイは思わず苦笑した。
シルクのカーテンが風に揺れた。
ローラントの優しい風がホークアイの頬を撫でる。
そうして彼は、穏やかな気持ちで眠りに落ちていった。
〈コメント〉
ホークアイ・・・悪人・・・?
当時はこの辺りの話を作成してデュラリーに傾いていった記憶が・・・(苦笑)
まだまだ話は続きます。
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