4.慟哭の涙


翌日、あまり眠れなかった重い頭を押さえながらリースは部屋を出た。

祖国ローラントでの久しぶりの休息だったのに気分が晴れないのは、やはり昨日のことが原因に他ならない。
昨日の時点で、ローラント城の者達にはホークアイのことを知らせてあった。記憶のない彼に城の地下牢に捕らえているナバール兵の存在を気付かせてはいけない、と。
リースはその時の、アマゾネス軍を始めとした皆の様子を思い返す。

美獣という者に操られていたとはいえ、ナバールは自分達にとって国を滅ぼし、王を殺した仇敵である以上、ホークアイもまたローラントの人々にとっては快く思えない存在だった。
いくら王女であるリースの仲間とはいっても、割り切ることができない。
しかも今、そのナバールのシ―フである男のことが原因でリースが旅立てずにいるとなると、当然彼に対しての不満や敵意は募っていく。

リースは暗い気持ちで長い廊下を歩く。
時折すれ違う兵士達と挨拶を交わしながら厨房に入った。
「まあまあ、リース様」
リースとその弟エリオットの乳母、アルマがリースを迎えた。
「アルマ、ホークアイさんへの食事はできてる?」

昨日のデュランとの喧嘩で、食事を摂れなかったホークアイはさぞ空腹であると思い、リースはアルマに消化の良いものを作っておいてほしいと頼んでいたのだ。
リースの問い掛けにアルマは笑顔で頷く。
「ええ、ええ、ちゃんとできておりますよ。あたしが持って行きましょうか?」
「いいえ、私が持って行くわ。アルマはデュランさんに朝食を摂らせてあげて。たぶんもう起きていると思うの」
幼い主人の言葉にアルマはふと真剣な表情を作り、
「そうですか? でも本当気を付けて下さいましよ。聞けばあの少年はナバールの者だというじゃありませんか。あたしゃ心配で・・・」
心配そうな乳母にリースは困ったような笑みを浮かべる。
「アルマ、そんな風に言わないで。ホークアイさんもデュランさんも、私の大切な仲間なのよ?」
「いえ、あの、デュランって子はいいんですがね・・・」
口篭もるアルマにもう一度、心配しないでと言い渡し、リースは盆を持って厨房を出た。

ホークアイの部屋への通路を進みながら、リースの表情が沈鬱なものになる。
アルマの心配はわかる。
おそらく皆がそう思っているのだろう。
ホークアイという男は信用できるのか、と。
ナバールのシーフであれば、いつローラントの王女であるリースに襲い掛かるか解ったものではない。

(でも・・・)
リースは細く息をついた。
それでもホークアイは、リースにとっては共に戦う大切な仲間なのだ。そして、それ以上に彼女の心を捕らえる存在でもある。
いつか解ってくれるだろうか?
理解してほしい人達に理解されないことは、かなりつらかった。

そんなことを考えていると、そこはもうホークアイのいる部屋の前だった。
昨日の今日なので、口を開いてもらえないかも知れないが。
軽くノックして中にいるはずの青年に話し掛ける。
「おはようございます。起きてますか? リースですけど、食事をお持ちしました」
一拍の間を置いて返事が返ってきた。
「ああ、入りなよ」
リースは一瞬戸惑った。
ホークアイの声が、いつもの彼だったからだ。
鋭さも含まない、いつもの軽い口調。
「し、失礼します・・・」
動揺を押さえて空いた片手で扉を開く。

簡素ではあるが秀麗なその部屋の寝台には、銀色の長い髪を背に垂らし、鋭い金色の瞳に朝の光を映した青年が上半身を起こした状態でこちらを見つめていた。
まるで、一枚の絵のような幻想的なその光景に、リースの心臓が早鐘を打ち始めた。
「何、突っ立ってるんだ? 入りなよ」
扉の前に立ち尽くして動かないリースを、不思議そうに見やって言う彼の言葉に我に返り、
「す、すみません。あの、スープですけど食べられますか?」
「ああ、実はすごく腹が減ってたんだ、俺」
冗談めいて言うホークアイの言葉に、リースの胸に希望が灯る。
いつもの彼だ。
「あの・・・」
「早いんだな、お姫さん。おはよ」
彼の言葉に、もしかして記憶が戻ったのですか、と問い掛けそうになっていたリースは慌てて口を噤む。
ホークアイは記憶が戻ったわけではなかった。
「・・・ホークアイ、さん?」

彼の機嫌の良さに戸惑うリースの様子に、ホークアイはスープを手に苦笑する。
「そんなに驚くなよ。昨日は、その、ごめんな・・・」
口篭もりながら謝罪され、リースは益々対応に困った。
一晩のうちにどうしてここまで態度が変わってしまったのだろうか。
黙々とスープを飲み始めたホークアイの頬がほんのりと染まっている。
彼もまた自分自身に戸惑っているのだろう。スープを掬って口元に運ぶ手の動きがぎこちない。
リースは寝台の横に椅子を引いてきて、ホークアイの食事の様子をぼんやりと見つめる。


しばらくの間、二人の間には沈黙が流れた。
スープを飲み終わると盆を脇にある小さなテーブルに置いて、ホークアイの視線がリースに注がれた。
「なあ、一つ聞いてもいいか?」
「は、はい?」
彼の真剣な眼差しに思わずたじろぐリース。
「俺はどうしてここにいるんだ?」
突然の問いにリースは硬直した。
そう問われた時の答えはデュランと共に色々と検討してみてはいたが、どれも勘の鋭いホークアイを欺くには不充分な説明しかできなかった。
また、昨日の喧嘩からホークアイは口を聞かなかったので、説明を求められることはしばらくないだろうと踏んでいたため、この問題は宙に浮いたままだったのだ。

ホークアイは、返答に窮して黙り込むリースはしばらく見つめていたが、やがていらいらと寝台に仰向けになる。
「説明できないわけでもあるのか?」
苛立ちを含む声音に、また怒らせてしまったのかと不安になる。
「・・・ごめんなさい・・・」
それだけ言うのが精一杯だった。

また、沈黙が落ちる。
先程とは違い、険悪さを含むそれにリースはいたたまれない気持ちになった。
ギシッという音がして顔を上げると、ホークアイが上体を起こしてリースをのぞき込んでいた。鋭いその瞳でリースの心を読み取ろうとしているかのように食い入るように見つめられ、強いその光に耐えられなくなって瞳を臥せる。


困り果てて俯くリースに、ホークアイは苛立った。
何故納得のいく説明がきないのか。
腕を伸ばしてリースの顎を摘まみ、強引に自分の方に向かせる。
少女の愛らしい顔が苦痛に歪んだが、彼は構わずに力を込めた。
「何を隠している?」
少女に隠し事をされるのが気に食わなかった。
自分には言えなくて、デュランという青年には言えることなのかと思うと腹が立つ。第一これは彼自身の問題ではないか。自分には聞く権利があるはずだ。

ホークアイの手から逃れようとする少女を難無く捕まえたまま、ホークアイは寝台から出て彼女の座る椅子の背もたれに一方の片腕を置いて長身の身体を屈める。少女を逃がさないように挟み込むような格好だ。
「・・・まさか、俺の仲間達に何かしたんじゃないだろうな?」
そんなことを少女がするわけはないと思っていたが、他に問い詰める言葉が見つからなかった。
ただ、ナバールにいたはずの自分が何時の間にかローラントにいるのだから、他にもナバールの者がいるのではないかと思ったのは確かだ。

だが、一瞬硬直したリースの態度にホークアイは動揺する。
全身の血が音を立てて引いていく感じがした。
まさか―――!?
「何かしたのかっ!?」
信じられない思いでリースの肩を乱暴に揺する。
「ホ、ホーク、アイさん・・・」
痛みに耐え兼ねてリースが喘ぐ。眼の端にうっすらと涙が滲む。
ハッとして力を緩めた時、部屋の扉が開かれた。
見ると、茶髪の青年が呆然と立っていた。

驚きに目を見開いて密着している二人を凝視していたが、リースがホークアイに乱暴を受けているようなその構図に、彼は怒りを露にして部屋に踏み込む。
「何してんだよ、お前!」
荒々しくそう言ってホークアイを押しのけ、リースを引き寄せる。
息が詰まって咳き込むリースを守るように抱いて、デュランはホークアイをきつく見据える。
「・・・ちが、デュラン、さん・・・。・・・ホークアイさんが、悪いんじゃ、ないんです・・・」
掠れた声で懸命にホークアイを庇おうとするリースに、デュランは一瞬困惑したような表情になったが、何も言わずにリースの肩を抱いて部屋を出た。

バタン、と閉じられた扉。
扉を見つめたまま、ホークアイは長い間その場に立ち尽くしていた。





風の通り抜けるローラント城の中庭で、デュランとリースはお互い黙ったまま心地よい風を感じていた。

デュランは、辛抱強くリースが落ち着くのを待っていた。
彼がホークアイの部屋に来たのは、アルマを始めとした城の者達に頼まれたからだった。
彼自身はリースと同意見で、心配はいらないと思っていたのだから、まさかあのような場面に出くわすとは思わなかった。

「ごめんなさい・・・」
ようやく聞き取れるくらいの微かな声が、リースの口から漏れた。
空を見上げていたデュランの視線がリースに降りる。
「何が?」
穏やかに問い掛ける。
リースは黙ったまま顎に手をやる。
まだ痺れるような感覚の残るそこには、赤い痣が残っている。ホークアイの力がそれほど強かったのだ。

彼は仲間達に何もしていないだろうな、と問い掛けられたリースが返答に窮したことに動揺した。
リースは咄嗟にどう答えて良いか解らなかったのだ。
ローラントがナバールに何か仕掛けたということは絶対にないのだが、ナバール盗賊団がローラント王国に攻め入ったという事実を知ったら、ホークアイはひどく傷付くだろう。そのナバールも今や美獣によって操られ、ホークアイの親友イーグルは殺された。そしてその妹ジェシカには呪いが掛けられている。
ホークアイは裏切り者としてナバールを追われ、先日彼の仲間だったビルとベンと死闘を繰り広げたばかりでもある。
そのようなことを、今のホークアイにどうして言えるだろう。

「私、どうしていいか解らなくて・・・」
沈黙の後、リースは震える声で言葉を紡いだ。
リースの不安げな声にデュランは頷く。
「そうだな、俺も同じだよ。ホークアイにしたってそうだと思う。目が覚めたらいきなりあいつの嫌いなお城にいるんだからな。あいつが一番戸惑ってると思うよ。だけどリース、そんなに落ち込むなよ。何とかしてあいつの記憶を戻そうぜ」
「・・・・・・はい。・・・でも、私、ホークアイさんにどう接していいのか・・・」
自分にその気はなくても、いつもホークアイを怒らせてしまう己に腹が立つ。

デュランは困ったように空を仰いだ。
「うーん、俺にしたってあいつと話したりしたらまた喧嘩になりかねないからなあ・・・」
その言葉にリースは小さく笑った。
「・・・私、こんなことになって初めて自分の気持ちを知りました・・・」
「え?」
見ると、リースは微かな微笑を浮かべたまま、大きな蒼い瞳に涙を浮かべていた。
「リ、リースっ?」
慌てふためくデュラン。
「・・・ホークアイさん、私のこと・・・名前で、呼んでくれないんです・・・」
ポロポロと、涙の結晶が宝石のような瞳から溢れ出て、頬を伝って流れ落ちていく。

ホークアイはリースのことを「お姫さん」としか呼んでくれない。その事実がリースを打ちのめす。
「リース・・・」
「それが、・・・つらくて、哀しくて・・・、私・・・」
どうかなってしまいそう・・・。
嗚咽にかき消され、最後まで言葉にすることができなかったが、デュランは理解したように優しくリースを抱き寄せた。



リースの様子が気になって後を追って来たホークアイは、建物の陰からその様子を見ていた。
庭で抱き合うデュランとリース。
ホークアイは激しい衝撃を受けて硬直する。

しばらく動けずにいた彼だったが、きつく唇を引き結んで来た道を全速力で引き返した。



部屋に戻ると勢い良く扉を開け、素早く身体を滑り込ませて扉を閉め、そこに凭れて項垂れる。
荒い息に合わせて全身が震えていた。
頭を抱えてしゃがみ込み、苦しげな呻き声を漏らす。
行き場のない激しい怒りと悔しさと哀しみが渦巻く。

打ち消そうとしても、二人が抱き合っていた場面は鮮烈に彼の中に浮かび上がってくる。
ホークアイは腕を振り上げたカと思うと、大理石の床に拳を打ち付けた。


皮が破れて血が滲んでも、何度も何度も繰り返して彼は自分を傷付けた。





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〈コメント〉
 壊れたホークアイ編(苦笑)。
 改めて見返してみても可哀想なホークアイとリースですが、
 まだしばらく不幸です(汗)。
 しつこく話は続きます。



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