5.懊悩の瞳


温かく、頼り甲斐のある腕に抱かれて泣いたのは久しぶりだった。

逞しい腕の中からリースはデュランを見上げ、恥ずかしそうに微笑み掛けた。
「もう大丈夫か?」
「はい」
答えを聞いてデュランも微笑を浮かべる。
そんな彼にリースは申し訳なさそうに謝る。
「ごめんなさい・・・デュランさんを困らせてしまって・・・」
済まなそうなリースの言葉に、デュランは微笑んだまま首を振る。
その藍色の瞳には包み込むような優しさが宿っている。
「謝ることなんてないさ。リースはいつも気を張っているから、頼られて嬉しいぜ、俺は」

気丈で弱音を吐かない少女を見てきて、デュランもホークアイもリースのことをとても心配していたと彼は告げた。年上の男が二人も揃っているのだから、たまには頼ってほしいと常々二人で話していたと。

「リースは俺の妹のウェンディを彷彿させるんだよな。しっかり者で、芯が強くて・・・。初めて会った時から俺はリースの中に成長したウェンディを見ている思いだったんだ。あと2、3年もすればウェンディもリースのようになれるかなってさ」
「私も、弟のエリオットにはデュランさんのように、強くて優しくて温かい人に育ってほしいと思います」
嬉しそうに言うリースの言葉に、デュランの頬が染まる。
「何なら俺が教育してやろうか? 粗野で乱暴な男に育つぜ」
照れ隠しの台詞の後、デュランとリースは顔を見合わせ、笑い合う。

リースは思った。
以前からデュランに対して抱いていたこの好意と、憧れのような感情は、彼の中に父ジョスターの若かりし頃を思い描いていたからだと。
いつからか、デュランとリースはお互いを兄妹のように思い始めていた。










リースは昼食を持って、ホークアイの部屋の前に来ていた。
デュランから「代わろうか」と言われたが、彼女は断った。
そうしてここまでやって来たのだが、扉の前で立ち尽くしてしまっていた。

しばらく暗い瞳で扉を見つめ、意を決して扉をノックする。
返事はない。
重い沈黙の後、リースはそっと扉に手を掛けた。
「・・・ホークアイさん、リースです・・・。入りますよ?」
それでも中からの答えはなく、リースは悲しい気持ちで扉を開けた。

薄暗い部屋の中、窓は閉められ、カーテンは全ての窓を覆っている。
寝台の上には静かに佇む青年の姿。
彼は両手で頭を抱えた格好のまま微動だにしない。
「・・・ホークアイ、さん?」
様子が変だ。
一歩踏み出した時、ふと足元を見やってリースは一瞬硬直した。
大理石の床に飛び散っている染みが目に入ったからだ。
(・・・・・・血?)
血の気が引く思いでリースはホークアイに目をやる。
目を凝らせば彼の状態が見えた。
両手から血を流す、彼の状態が。

「ホークアイさん!」
リースは慌てて寝台に駆け寄り、盆をテーブルに置くとホークアイの前に膝を付く。
彼の手から流れる血は今はもう止まっていたが、それでも決して浅い傷ではない。
「ホークアイさん、手をどうしたんですか? 見せて下さい」
ホークアイは何も反応しなかった。
金色の瞳からはいつもの鋭さが伺えない。虚ろに虚空を見つめている。
リースが彼の手を取っても、されるがまま反応を示さない。
「いったい、どうしたんですか? お願いですから返事をして下さい!」
懇願するようなリースの声に、ホークアイはゆっくりと虚空から彼女に視線を動かした。
「・・・ああ、お姫さんか」

掠れた声だったが、反応があったことに安堵する。
「どうしたんですか? どうして、こんな怪我を?」
「さあ、何でかな・・・」
痛みを感じないのだろうか?
まるでどうでもいいというような彼の態度に当惑する。
「ホークアイさん?」
もう一度呼び掛けてみるが、ホークアイはちらっと目を向けただけだった。
「待っていて下さい。今、薬を取って来ます」
そう言って立ち上がり、踵を返して走り出そうとしたリースの腕をホークアイは素早く掴んだ。
ハッとして振り向くとホークアイと目が合い、二人の視線が絡み合った。

虚ろだった金の瞳が妖しく光る。
一瞬、わけの解らない恐怖感に捕らわれて、リースの身が竦んだ。
力を込めて腕を引かれ、リースの体がホークアイの腕の中に倒れ込む。
「あっ」
気付いた時にはリースは寝台に仰向けに押し倒されていた。

驚いて動けないリースの首に、ホークアイの血の付いた右手が当てられる。
「・・・わけが解らない。あんたがいると、俺が俺でなくなるようだ。どうしてこんな苦しい思いをしなきゃいけないんだ!」
叫ぶように言い放ち、ホークアイの手に力が込められてリースの細い首を締め上げた。
リースの顔が苦痛に歪む。
それでも力は弱まるどころか強さを増す。
まるでリースの苦しむ姿をもっと見たいとでも言うように、喉に回されたホークアイの指がさらに食い込む。

震える両手をホークアイの右手に持っていくが、左手に捕らえられた。
細い手首が鬱血するほど強く掴まれ、外すことができない。
苦しさの中、リースはホークアイを見つめていた。
ひどく悲しそうな表情。傷付き、裏切られて迷子になった子供のような・・・。

「・・・ホーク・・・アイ・・・」
苦しい息の中、必死に声を絞り出す。
すると、ホークアイの両手が突然離れた。
リースの中に一気に空気が流れ込み、激しく咳き込む。
そんなリースを、ホークアイは辛そうに見つめる。
「・・・ごめん・・・」
消え入りそうなほど小さな声で謝罪する。


咳き込みながらリースは身体を起こし、寝台に腰掛けて背を向けているホークアイに声を掛ける。
「ホークアイさん・・・、いったい、どうしたんですか?」
「・・・解らない・・・。何が何なのか、混乱して・・・」
うめくように言ってホークアイは両手で顔を覆う。
こんな頼りなげな彼は初めてだ。

しばらくしてようやく呼吸が整ってきたリースは、寝台の上に膝を付いた姿勢で、後ろからホークアイを優しく抱きしめた。
リースの手が触れた瞬間ホークアイはびくっと身体を振るわせたが、彼女の手を払ったりはせずに少し躊躇した後、そっとリースに凭れ掛かった。
「不安なんだ・・・。俺は、いったいどうしてしまったんだ?」
リースの心が痛んだ。
どうやったら彼の不安を取り除けるのだろう。
こうして抱きしめてやることしかできない自分の無力さが歯痒い。
「・・・解らないんだ、自分の心が・・・。何か、何かとても大切なことがあるはずなのに・・・」
「・・・ナバールの、こととかですか?」
遠慮がちの問い。

ホークアイにはナバールに残してきたものが沢山あったはずだ。親友のことや、仲間達のこと。そして・・・。
「・・・イーグルさんや、ジェシカさんが心配ですか?」
ホークアイが驚いたようにリースを見つめる。
「何故、イーグルやジェシカのことを知っているんだ?」
「え? あ・・・」
何と答えて良いのか解らずにリースはまた黙ってしまう。
しかしホークアイは今度は怒らなかった。
「・・・まあ、いいか。俺の知らないところで何か起きてるみたいだしな・・・。いちいち怒ってても仕方ない」
静かにそう言うと、再びリースに寄り掛かる。
「ホークアイさん・・・」
「だけど、違う。イーグルや、ジェシカのことというより・・・」
言葉が見つからないのか、そのまま黙り込んでしまう。
切ないほどの愛しさが込み上げてきて、リースはホークアイを抱きしめる腕に力を込めた。
「ホークアイさん、信じられないかも知れないけれど、私達は貴方の敵ではありません。貴方を傷付けるつもりなんてありませんから・・・。だから、ゆっくりと休んで下さい」
穏やかに、染み入るように流れる声音にホークアイは目を綴じた。

「・・・君と、あいつはどういう関係なんだ?」
「あいつ? デュランさんのことですか?」
目を綴じたまま、ホークアイは頷いた。
リースは意外な質問をされて返答に迷ったが、
「大切な仲間で、信頼できる友人です」
「それだけ?」
いったいどんな答えを望んでいるのだろう。
取り敢えずリースは先程理解した思いを語る。
「デュランさんは、私にとってお兄さんのような方です。こんなことを言うと笑われるかも知れませんが、デュランさんは子供の頃から思い描いていた、私の父が戦士だった頃のイメージにぴったりなんです」
話しているうちに昔を思い浮かべたのか、リースの表情が遠くを見つめるように和らぐ。

「笑わないよ」
ふと見ると、ホークアイの端正な顔から苦渋の色が失せて、代わりに優しい微笑が浮かべられていた。途端にリースの胸の鼓動が速くなる。
ホークアイは、そんな少女の細い喉元に手を伸ばす。
先刻とは打って変わった優しい仕種で、痛々しく残った自分の指の跡をなぞる。
彼の瞳が陰りを帯びる。
「ごめん・・・。俺、ひどいことを・・・」
「い、いえ、平気です」
リースにはホークアイを責める気などなかった。

彼が混乱するのも無理はないからだ。
半年間の記憶を失っていることを知らず、それでも微かに残る不可解な感情に悩まされている彼の心情を思うと、それをひた隠している自分自身が卑怯者に思えてくる。

ホークアイの記憶を戻す方法を見つけなければ。
寝台で二人寄り添い合いながら、リースは思った。










ホークアイはふと目を覚ました。

部屋は真っ暗で、今が夜なのだと解る。
彼は起き上がろうとして両手に走った痛みに眉を寄せる。
見ると両手には白い包帯が丁寧に巻かれていた。
彼の表情が和らぐ。
(リース・・・)
大理石の床に飛び散っていた血は綺麗に拭き取られ、寝台のシーツは新しくなっている。
すべてホークアイとリースが共にしたことだ。

自分達の子供時代の話を打ち明け合いながらの作業はとても楽しいものだった。
ホークアイは仲間のことや、彼らと共に初めて金持ちの家に盗みに入ったことを話した。
最初は少女はこんな話を嫌がると思ったが、リースは瞳を輝かせながら先を知りたがった。
彼女は王族に対するホークアイの先入観を端から打ち砕いた。だけど彼にはそれが嬉しかった。

『私をお姫さんと呼ぶのはやめてくれませんか?』
珍しく拗ねたような口調で彼女はそう言った。
ホークアイは彼女を「リース」と呼び捨てにするのは何故か照れくさかったので、
『じゃあ、リースちゃん』
苦し紛れに言った言葉にリースは唖然とした。そんな答えは予想していなかったのだろう。みるみる恥ずかしさに頬を赤らめる少女が可愛くて、ホークアイは声を上げて笑った。


その時のことを思い出して、ホークアイは小さく笑った。
(リースに会いたいな・・・)
心からそう思った。
ホークアイは窓を開け放ってバルコニーに立つ。
手摺りに手を掛けると、彼は体重を感じさせないような素早い動きでそれを越える。



ふわりと浮いたホークアイの身体は、闇に溶け込んでいった。





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〈コメント〉
 和解編(?)。ホークアイ暴挙に出ました。
 そして次回はさらに・・・(笑)。
 ようやくこの連載も折返し地点です。
 さらに話は続きます。



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