6.疑惑の念
広いローラント城の庭をホークアイは、金の髪の少女の部屋を探し歩いていた。
こんな夜中に非常識だとは思うが、彼女が眠っていたならば寝顔を見るだけでも良かった。
自分でも不思議に思う。
一人の少女をこれほどまで特別に思えるなんて。
兄妹のように育ってきた少女と同じ年齢であっても、彼女と金の髪の少女に対する思いはまったく別なものだ。
(ジェシカ、ごめんな・・・)
心の中でそっと呟く。
年月が経つにつれて、自分に対するジェシカの思いが変化していったことは気が付いていた。
このままナバールでフレイムカーンやイーグル、仲間達と共にいられるならジェシカと夫婦になるのもいいと思っていた。恋愛感情は持っていなくても、彼女を大切に思う気持ちに変わりはなかったからだ。
だが、ここに来て彼は、それができなくなった。
出て行こうと思えばいつでもローラントから出て行くことができたのに、そうしなかったのはリースの傍にいたいと思ったからだと、今ならそう思える。
ジェシカとリースの決定的な違いは、ジェシカは守られる側、リースは守る側であるということだろう。
父や兄を始め、ナバールの者達にまるでお姫様のように大切に守られて育ったジェシカ。
本物のお姫様でありながらアマゾネス軍のリーダーを務め、弟やローラントの人々を導いていく立場にあるリース。
境遇も立場もまったく違う二人。
だが、リースには自由がない。年相応の幼さもない。
まだ少女でありながら、国のすべての責任をその細い肩に背負って弱音を吐くことも許されずに気丈に振る舞い、幼さを閉じこめている。
彼女を守ってやりたい。心を許せる存在でいたい。
ホークアイは心からそう願った。
彼は城門に差し掛かった時、複数の人の気配を感じて柱の影に隠れた。
別に盗みを働くというわけではないが、長年染み付いた習性とでも言うべきか。
「リース様も大変ね」
女性の声だ。
おそらくアマゾネス軍の一員だろう。
交替で城門の見張りをしているのだろう。
リースの名前が出たことに反応して、ホークアイは思わず彼女達の話に聞き入った。
「そうよね、いくらお仲間とは言っても彼はナバールの者なのに・・・。大丈夫なのかしら?」
自分のことを言われていることは解ったが、彼女達が自分に好意を持っていないことを察して首を傾げる。
(俺、何かしたのかな・・・?)
昨日今日の時点で、リースに何もしていないとは言い切れないが、彼女達はホークアイがナバールの者だから信用できないというふうに言っていた。
少なからずムッとしたが、そのまま話を聞いた。
「とにかく今の彼は何も知らないわけだし、リース様もおっしゃったように、牢屋に捕らえてあるナバール兵のことは気付かれないようにしなければね」
(―――!!)
信じられない言葉を聞いた。
頭の中で今の言葉を理解するのに長い時間を要す。
(・・・何、だって・・・?)
牢屋に、ナバールの者が、捕らえられている・・・?
ホークアイは力無く柱に凭れて、何度も言葉を反復する。
どれほどそうしていたのか。
気が付くとすでに見張りのアマゾネス軍の話題は別なものになっている。
ホークアイはふらりと柱から離れ、頼り無い足取りで歩き出した。
(何かの、間違いだよな・・・)
そんなはずはない、そんなはずはないと繰り返しながらそれでも彼の足は牢屋を探して歩を進める。
この目で確かめなければ。
牢屋に見知った顔がいなければ、彼女達の話は幻聴だったと納得することができる。
リースやデュランがそんなことをするわけがない。
短い間に二人の真面目な性格はだいたい解った。
二人ともそんな人間ではないはずだ。
仮にナバールの者を捕らえたとしても、それをホークアイにひた隠す必要はない。彼らなら必ず知らせてくれるはずだ。
はやる気持ちでホークアイはそう願う。
牢屋を見付けるのはそれほど苦にはならなかった。
彼は城の構造がある程度解ると、どの辺りに何があるのかなど、漠然とだが把握することができる。
彼の持って生まれた運と勘の良さは常人の比ではないのだ。
そして、辿り着いた牢屋の中には、確かにナバールのシーフ達が、――居た。
絶望感だけが彼を支配する。
すべては偽りだったのだろうか?
金の髪の少女の優しさも、清純さも、温かな笑顔も・・・・・・?
だが―――・・・・・・
(?)
しばらく佇んでいた彼はふと、おかしさに気が付いた。
鉄格子の向こうの仲間達に、何の反応もないのだ。
ホークアイは不思議に思って手近な牢の中をのぞき込む。
中にいる数人のシーフ達はホークアイの存在に気付いていない。いや、自分の他にも牢屋に入れられていす者がいることすら解っていないようだ。
「おい! 返事をしろよ」
呼び掛けても応答がない。
(どういうことだ?)
緊張が走った。
考えられるのは、誰かが何かをしたということだが、誰が何を、という疑問には想像したくない答えが浮かぶ。
温かかった彼女の体温がまだ彼の中に残っている。
清々しい風の香りのする少女。
所詮は、王族だったのか?
ホークアイは、渾身の力を込めて壁を殴った。
白い包帯に血が滲む。傷が開いたのだ。
だが、彼はそんなことに鎌ってはいられなかった。
冷たい無表情を端正な顔に張り付けて、彼は静かに牢屋を後にした。
リースは自室で、書庫から持ち出した本を開いていた。
ホークアイの記憶を戻す方法を見つけたかった。
どんな小さな情報でもいい。試せるだけ試したかった。
ふと文字を照らす光が弱まった。
目を上げると、燭台の蝋燭の火が力無く燃えている。
(蝋燭、替えなきゃ)
立ち上がって、棚の引き出しを開けて新しい蝋燭を取り出し、弱々しく燃える火を移す。
明るくなるとあた机に向かって本を開く。
ホークアイに思い出してほしい一心で、リースは本を読み続けた。
自分達に課せられた使命も大切だが、何より自分のことを思い出してほしい。
しばらくして、ずっと同じ姿勢で本を読んでいたためいい加減疲れてきたリースは、椅子に座ったまま伸びをした。
かなり長い時間が経過したが、まだ良い方法は浮かばない。
そもそも、ホークアイがどういう方法で記憶を奪われたのだろう。それが解らなければどうしようもない。
記憶を無くす魔法にはいくつか種類がある。
司祭や神官が使う回復魔法を逆の論理で操るものや、魔導師の使う封印や結界の一種。または呪いの類い。
いずれの術も、術者の力量や力の加減によって記憶の一部だけを失わせたり、全体に影響を与えることもできる。
だが、記憶は白紙に戻しても封印しても、よほど強い念であればそれらを振り払うことができる。
ホークアイは微かながらも無くした記憶が持っていた不可解な思いを感じているらしいのだから、それを基点に記憶を戻すことはできないだろうか。
そんなことを考えながら、リースは昼間のことを思い浮かべる。
あの時、確かにホークアイはリースを認めてくれていた。
王女ではなく、一人の少女として。
お互いのことを話した充実した時間。
ホークアイのことを色々と知ることができて嬉しかった。それと同時に切なくなった。
解ってはいたが、ホークアイの記憶に自分は居らず、ジェシカの存在はいつでもいた。
彼の口からその名前が出る度、リースの心が重く沈んだ。
どうあっても自分はジェシカ以上にはなれないと思うと悲しくなる。
ジェシカを妬ましく思う自分自身に呆れてしまう。
彼に、少しでも自分のことを気に留めてほしいと望むのは、我侭なのだろうか。
自分の気持ちを持て余して、リースは長い溜息をついた。
「どういうことだ?」
突然、背後で静かな声がしてリースは飛び上がらんばかりに驚いた。
振り向くと、能面のような表情のホークアイが立っていた。
痛いほど鳴る胸を押さえて、リースは椅子から立ち上がる。
「ホ、ホークアイ、さん? どうしたんですか、こんな夜中に・・・」
彼はリースの質問には答えず、暗い表情で口を開く。
「何故、牢屋に俺のナバールの仲間達がいるんだ?」
さっとリースの表情が強張る。
そんな彼女に、ホークアイは一歩ずつゆっくりと近付く。
後ずさろうにも彼女の後ろには机と壁があるだけなので逃げられない。
それに、逃げたりしたら事態が悪くなるだけだろう。
リースはただ黙って、近付いてくるホークアイを悲しげに見つめていた。
ホークアイは、リースの3歩ほど前で立ち止まる。
燭台の光に照らされた彼の表情から感情は読み取れない。
だが、彼は決して昼間のように微笑んではくれないということだけは解る。
「何故、黙っているんだ、・・・・・・リース」
名前で呼んでくれた。
でも、今はそのことを喜んでいられる状況ではない。
「ホークアイ・・・」
緊張して声が掠れる。
リースは必死に言葉を探した。
どうすれば彼を納得させることができるのだろう。もう一度笑ってもらえるだろう。
そんなリースの葛藤を別の意味で取ったのか、ホークアイが力任せに彼女の二の腕を掴んだ。
「君は、敵なのか、味方なのかっ!!」
叫ぶように発せられたホークアイの声には、裏切られたという哀しみが溢れている。
リースは泣き出してしまいそうになるのを必死に堪えた。
「・・・・・・所詮は、王族なのか・・・・・・?」
泣き出しそうな笑いを浮かべて、ホークアイが聞く。
リースの胸が激しく痛んだ。
彼女は声が出すことができずに首を振る。
腕の痛みなど気にならなかった。今はホークアイの心の方がひどく傷付いている。
自分の優柔不断が招いた結果だ。
「あなたは、記憶を失っています・・・」
一度口を開けば涙が溢れた。
掠れるか細い声に、ホークアイはリースを凝視する。
見返すリースの涙に濡れた瞳は、痛いくらいに真剣な光を放つ。
「あなたは、半年間の記憶を失っているんです」
今度ははっきりと告げたリースの言葉に、彼女の腕を掴んでいたホークアイの手の力が緩む。
「今、ナバールは美獣という女性に操られているんです」
「・・・・・・え?」
美獣という名がホークアイの脳裏に引っ掛かった。
言いようのない憎しみの感情に捕らわれそうになる。
「操られたナバール盗賊団は、ナバール王国と称してこのローラントを攻め落としました」
「!!」
ホークアイは城を歩いている間に、頭の端に引っ掛かっていた疑問を思い出した。
それは、大国でありながら、ここには人の気配がなかったことだ。
今が夜だからというのではなく、昼間でも静か過ぎるほど静かなのだ。この城は。
呆然とするホークアイに、更にリースの言葉が繋げられる。
「あなたは、いち早く異変を感じてナバールを抜け出したのです・・・」
リースはジェシカのことやイーグルの死を、どうしても口に出すことができなかった。
だが、ホークアイはそれを許さなかった。
「イーグルは? ジェシカはどうなったんだ?」
リースの唇が震える。
残酷な事実を、彼に告げなければならないのか。
「・・・ジェシカさんは、美獣によって呪いを掛けられ、あなたが美獣に手出しできないように、されました・・・。・・・・・・イーグルさんは・・・、亡くなられました・・・・・・」
激しい衝撃に、ホークアイは硬直した。
リースは彼を見ることができずに俯く。
自分の腕を掴む腕にもはや力がないことが、彼のショックの大きさをリースに伝える。
「・・・それは・・・事実、なのか・・・?」
長い沈黙の後、ようやくこぼれたホークアイの問いにリースは俯いたまま頷く。
ホークアイの手が震えた。
リースの腕を掴む手に、再び力が込められていく。
「・・・どうして、言わなかった」
「え?」
驚いて見上げると、ホークアイと目が合った。
怖いくらいに鋭い瞳に見据えられてリースの身体が震える。
「何故、それを黙っていたんだ? 俺が牢屋に捕らえられた仲間達を見付けなければ、君はそのことをずっと隠しておくつもりだったんだな? 俺には知る権利があるはずなのに!」
ホークアイは怒っていた。
彼はリースの言葉を信じてくれた。
てっきり、そんなはずがないとなじられると思っていたリースには意外なことだった。
「何故だ! 何故隠していたっ!!」
ホークアイの意外な言葉と激しさに気圧されて声を出せなかったリースだったが、ホークアイの哀しみを感じ取って思わず心の奥に仕舞い込んでいた言葉を口に出していた。
「あなたが好きだから、傷付けたくなかったんです!」
ホークアイは、驚いて腕の中に捕らえた少女を見つめた。
今、彼にとってとても重要な言葉が彼女から発せられたような気がする。
リースは、ホークアイを見ることができずに俯いたまま、それでも言葉を続ける。
「私は、記憶を失くした貴方にこんなことを話して、苦しめたくなかったんです・・・。でも、結局貴方を混乱させてしまった・・・。ごめんなさい、私がはっきりしなかったから・・・。本当に、ごめんなさい・・・」
留めどもなく涙を零しながら謝る少女に対して、怒りも憎しみも彼の中で形を成さなかった。
彼女を腕に抱いて溢れるのは、狂おしいほどの愛しさ・・・・・・。
ふと目を向けるとリースのすぐ後ろの机の上に積まれた、何冊もの本がホークアイの金色の瞳に映る。
彼女が自分のために集めてくれた本の山。睡眠時間を割いてまで調べてくれていたのだ。
気が付くと、ホークアイはリースの顔を持ち上げて、そっと唇を重ね合わせていた。
触れるだけのキスだったが、ホークアイの胸は高鳴った。
リースは驚いたように彼を凝視する。
ホークアイの凍り付いていた表情に優しい微笑が戻る。
「俺も、君が好きだ」
リースの大きな瞳がさらに見開かれる。
信じられないというふうに、ホークアイの胸を押しのけようと身を捩る。
そんな彼女を強い力で抱きすくめるホークアイ。決して逃さないと言うように。
「信じられない?」
ホークアイの問いにリースの表情が困ったように歪む。
そんな少女をホークアイは力いっぱい抱きしめた。
あのような話を聞かされても、ホークアイにはリースを疑う気持ちはなかった。潜在意識の中でそれが真実であると解っているからだろうか。
そして、金の髪の少女がこんなにも愛しく思えるのも、本当の自分が彼女を愛しているからだろう。それを確信できる自分がいることを、彼は感じていた。
「リース、俺は話してほしかったよ、すべてを・・・。俺には君が信じられる。俺達は、仲間なんだろう?」
言いながらリースをのぞき込むと、彼女は驚きから嬉しさへと表情を変えていった。
涙に濡れた瞳を眩しそうに細め、リースは花がほころぶような笑顔を浮かべた。
哀しみの涙が嬉しさに変わり、宝石の輝きを放って少女の頬を流れ落ちる。
「はい・・・!」
はっきりと頷いて、リースはホークアイの背中に腕を回した。
そんなリースの身体を、ホークアイも抱きしめる。
ホークアイは、これまでにない至福を感じた。
たとえ未来に二人がどんな道を辿ったとしても、この時確かに二人の想いは通じ合った。
しばらく抱き合っていた二人はやがて、お互いの身体に回した腕を緩めて顔を上げる。
ホークアイの金の瞳と、リースの蒼い瞳が絡み合い、どちらともなく微笑み合う。
〈コメント〉
ようやくクライマックスです〜。
実は当時はこの話を2週間ほどで書き上げたんですよね。
今更ながらその時の自分のバイタリティには頭が下がります…。
でもここではまだ続くんです。
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