7.真実の風


リースは、これほど幸せな気持ちになったことはなかった。
今、心からホークアイを好きになって良かったと思える。
記憶を失くしても、ホークアイは自分に心を開いてくれた。信用してくれた。
そして何より、好きになってくれた。

「ん? どうしたんだ?」
じっと自分を見つめるリースに、優しい口調で問い掛ける。
「私、ホークアイさんはてっきりジェシカさんを好きなんだと思っていました」
「ジェシカを?」
ホークアイは一瞬不思議そうな表情となり、くすりと笑った。
そしてゆっくりと首を振る。
「確かに大切な存在だけど、彼女は俺にとって妹のようなものなんだ。君への想いとは違う」
リースの頬が赤く染まる。
ホークアイはこの上もなく優しく微笑み、そっとリースを抱いていた手を離した。
「とにかく、さ。今日はもう寝なよ。続きは明日、な?」
「はい」
はにかんだ笑顔で頷き、リースは机の上に開かれた本をパタンと閉じた。
ホークアイは、リースの濡れた頬に羽のように軽いキスをして、
「泣かせちまってごめんな。おやすみ」
そう云って部屋を出て行った。

鮮やかなほど素早い彼の行動に、少しの間茫然としていたリースだったが、やがて頬に手を当てて真っ赤になった。
優しい風が窓から入ってきた。
蝋燭の火を吹き消して、リースの長い髪を掬う。
見ると、カーテンの隙間から星の輝きと、ほとんど楕円を描く月の光が差し込んでいる。
その夜、リースもホークアイも、幸せな気持ちで眠りに付くことができた。







明け方に目を覚ましたリースは、さっそく燭台に火を灯して本を開いていた。
記憶を取り戻してもホークアイが自分を好いてくれるのか不安ではあったが、それでもリースは彼に記憶を戻してあげたかった。
しかし何冊もの本を読んでみても、手掛かりらしきものは書かれていない。
リースは辛抱強い性格ではあったが、ここまで何のヒントも得られないとさすがに嫌になってくる。

外はすでに明るい。
落胆の溜息をついて、彼女は立ち上がった。
(駄目だわ・・・。いい方法が見つからない)
ホークアイなら記憶なんて戻らなくてもいいと言ってリースを慰めてくれるだろうが、それではいけないのだ。
ホークアイの優しさに甘えてしまいそうになる自分自身の弱さを叱咤して、リースは両開きの扉を開いて朝の清々しい風にその身を晒す。

(天の頂に行ってみよう)
突然その思いが溢れてきて、リースは部屋に戻った。
素早く身支度を整えると、彼女は武器である槍を装備して部屋を出て行った。

「リース様、何処へ?」
門番の兵士達が、リースに道を開けながら問い掛けてきた。
「天の頂に行って来ます。共はいいわ。私一人で大丈夫だから心配しないで。デュランさんやホークアイさんにもそう伝えて」
そう言ってリースは、心配そうに見送るアマゾネス達の間を通り抜けて、天の頂へと続く道を歩き始めた。


幼い頃、悲しいことがあるといつも泣いていた場所。
いつも気を張っているリースの唯一の心の拠り所であり、風の王国ローラントの聖域。
リースはその場所を吹き抜ける風に、早くに亡くした母の温かさを感じていた。
幼い頃、そこに行けば母に会えると信じていたように、何らかのヒントが手に入るのではないかと漠然とした期待を抱いて、リースは山道を登って行った。





ホークアイは寝台の上で大きく伸びをした。
目が覚めるとすぐにリースに会いたくなる。
着替えを済ませて長い髪を後ろで束ねるとすぐに部屋を出て、早足で廊下を横切って行く。
「ホークアイ」
呼ばれて振り返ると、そこには鎧を身に着けないラフな姿のデュランが立っていた。
彼も寝起きなのだろう。茶色の髪がいつにも増して乱れている。
「よう、おはよ」
機嫌良く挨拶するホークアイの声に敵意は混ざってはいない。彼はもう、デュランに対して理不尽な怒りは持っていなかった。
「おう、何してるんだ? 誰か捜しているのか?」
「ああ、ここのお姫様をな」
「また襲ったりしないだろうな?」
ジロッと睨んでくるデュランの藍色の瞳に浮かぶ感情は、嫉妬の類ではなく、妹を心配する兄のようなそれだ。
ふと、イーグルのことが思い出されてホークアイの胸が痛む。
「襲わねえよ。俺達は愛し合ってんだから、合意の上だって。だから安心しなよ」

バキッ☆

渾身の力を込めたデュランの拳が、ホークアイの頭に直撃した。
「いってえなあ! 何すんだよっ!」
「やかましいわ、このケダモノ!!」
「ひどいなあ。心配しなくたって、まだ手は出しちゃいないよ、俺は」
「当たり前だっ!!」
デュランは精悍な顔を真っ赤に染めて怒鳴った。
真面目な彼にはホークアイの冗談が冗談とは思えなかったらしい。
肩を怒らせながらホークアイの前方を早足で廊下を突き抜ける。
(うーん、信用ないなあ)
デュランの後をついて歩きながら、ホークアイは苦笑する。
そんな彼に振り返って、デュランは憮然とした表情のまま、
「どうやら機嫌は直ったらしいな。リースと何かあったのか?」
その台詞から、彼も二人を心配していたことが解る。
「ああ、色々とな。この前はごめんな、あれは全面的に俺が悪かった」
ホークアイの心からの謝罪にデュランはにやっと笑って、
「先に手を出したのは俺だけどな」
彼はすでにホークアイを許していたのだ。
そんなデュランの言葉が、ホークアイには嬉しかった。
「ああ、おかげで飯が食えなかったよ」
「フン、自業自得だ」
まるで、昔からの親友のように二人は笑い合った。
ホークアイは、それが何故か懐かしく感じられた。

ほどなくして二人は食堂に入って行った。
そこにはすでにテーブルに朝食が並べられている。
「あら、おはよう、デュランさん」
笑顔でデュランに話し掛けて来たのは、アルマだ。
彼女はデュランの隣にいる人物に気付くと、ふと眉を顰めた。
ホークアイは心の中で溜息をついて、彼女に会釈する。
「リースは?」
重い雰囲気をどうにかしようと、デュランが話題を振る。
すると、アルマの表情が神妙なものになった。
「ええ、それがね。リース様ってば、朝早くに天の頂に行ってしまったんですよ」
「天の頂?」

天の頂とは、バストゥーク山の頂上のことだとアルマは説明した。
ローラント城のまだ上に上った所になるそこには、空と山の守護神がいると語られている。
「だけど、頂に続く道には力の強いモンスターが出現するんですよ。いくらリース様でも無事でいられるか、心配で・・・」
その言葉にデュランとホークアイの顔色が変わった。
「そんな危ない所なのか?」
「ええ」
デュランは頭を抱えこんでうめいた。
「ああ、もうっ! また悪い病気が出やがったな?」
「? 何だよ、それ」
わけが解らないと、ホークアイが問う。
「この無茶な行動だよっ。普段一番冷静なくせにいざとなると何をしでかすか解んねーんだよな、あのお嬢さんは・・・。ったく、俺達の心配よそに・・・」
最後の言葉は溜息と混ざり合った。

「俺、捜しに行って来る」
云うが早いか、ホークアイが駆け出した。
「あっ、おい!」
デュランの制止の声も彼には届かない。
ホークアイの頭の中は、もはやリースのことだけだった。
だーっ!!どいつもこいつもっ!!」
デュランのヤケ気味な絶叫が響いた。
彼はホークアイとは反対に、食堂を出ると来た道を走って行った。


ホークアイの方は城門を出て、山頂へと続く道を走る。
彼はその身軽さを生かして、襲い来るモンスターの攻撃を難無くかわしながら山頂を目指す。
途中、いくつか別れ道があったが、ホークアイは勘を頼りに突き進んだ。
下手な地図などより、勘の方が彼には当てになるのだ。
モンスターの群れを鋭い瞳で見渡して、見知った者の姿を探すが、ハーピーやニードルバードの中に少女の金色の髪は見当たらない。
(まだ先に行ったのか?)
ホークアイはダガーを持って来なかった自分の浅はかさに呆れた。
武器なくしてリースを助けるも何もあったものではない。
仕方なく、道端の小石などでモンスターの気を逸らして、隙を突いて先に進む。
さすがに小細工は手慣れたものだ。


やがてホークアイは勘だけで、だが迷わずに山頂に辿り着いた。
モンスターももう出現しない。
螺旋を描く道を歩いて、ホークアイはようやく金の髪を風に靡かせる、愛しい少女を発見した。
彼女は背を向けて座り込んでいる。
(?)
ホークアイは訝しげにその様子を見入った。
彼女の傍に、何かが横たわっている。
無意識に彼はリースに近付いて行った。
彼の近付いて来る気配を察して、リースが振り向いた。
可愛らしい顔立ちが、悲しみに曇っている。
「どうしたんだ?」
慌ててホークアイは彼女に駆け寄った。
「ホークアイさん・・・」
小さく呟いて、リースは視線を落とす。
彼女の傍に横たわっているものは、4枚の翼を持った巨大な獣(?)だ。
人間が十人ほど乗ってもまだ余りある巨体。伝説の、翼あるものの父だとホークアイは確信した。
だが、衰弱が激しい。
もう起き上がることすらできないようだ。
「いったい、どうしたんだ?」
「・・・解りません。私が来た時にはもう、倒れていたんです・・・」
リースの手は、聖獣の頭を優しく撫でている。
その時、聖獣の目が開かれてリースとホークアイを見た。
リースの瞳と同じ、どこまでも澄んだ蒼い瞳だ。
「苦しいのですか?」
まるで、人間に対する時と同じように問いかけるリース。
聖獣の目が細められた。
笑った、とホークアイは感じた。
聖獣はリースのことを知っているのか、親しげに彼女を見つめている。
その瞳からは命の火が消えゆく者の、儚さと強さが感じられる。
すると、聖獣から淡い光が発せられた。
「?」
ホークアイとリースは、不思議そうに光を見つめる。
優しい金色の光は、ホークアイの上に降り注いできた。
「わっ!?」
突然のことに驚いて後ずさるホークアイ。しかし光は彼が動いてもそれに合わせて付いてくる。
光はホークアイに触れると弾けた。
それと同時にホークアイの中に、何かが浮かんだ。
「これは・・・」

美獣との初めての出会いが、彼の中に蘇った。
また一つ光が弾け、その後のナバールが思い出されてきた。
次々と光が弾け、ホークアイの中に怒涛のように記憶が流れ込む。
どこか様子がおかしいフレイムカーン、やめることとなった盗賊家業、そして・・・、起こった悲劇。
友殺しの汚名、ジェシカに掛けられた呪い、ナバールからの脱走、リースやデュランとの、出会い・・・。
「・・・思い・・・出した・・・」
すべての記憶が彼の中に蘇った。
目の前の少女をいつからか、大切に想い始めていたことも。
記憶を失う前から彼は、リースを特別に思っていたという事実も。
彼の中で、失くしていた記憶が形を成した。

光はすべて弾けると、ホークアイの中に溶け込むように消えていった。
(これは・・・)
光と共に、もう一つの記憶が彼の中に、染み入るように流れ込んできた。

デュランに似た強い瞳を持つ戦士と、リースに似た清廉な女戦士。
若かりし日のジョスター王とミネルバ王妃か。
二人の幸せそうな婚礼、リースの誕生、エリオットの誕生、ミネルバの死、そして、天の頂で泣く小さな少女。
それらすべてを愛しく思う、温かな気持ち。
これは、翼あるものの父の、記憶。
ホークアイの瞳から一筋の涙が頬を伝って流れた。

「ホークアイさん?」
声を掛けられてホークアイは、傍らで心配そうに見つめる少女に視線を移すと、手を伸ばしてそっと彼女を抱きしめた。
「ホ、ホークアイ、さん?」
「好きだよ、リース・・・」
甘く囁かれた言葉に、リースは真っ赤になる。
聖獣は、そんな二人を満足そうに見つめ、目を綴じた。
その大きな体全体が光に包まれ、ホークアイとリースの目の前で、弾けた。
「!!?」
驚いて、すぐさまリースが駆け寄るが、光の消えたそこにはもう何もなかった。
「そ、そんな・・・」
ローラントを守る守護神が死んだ?
信じられない思いで、その場に立ち尽くす。
「リ・・・」
「おい、お前ら」
リースに声を掛けようとしたホークアイの言葉を遮って、デュランの声が届く。
振り向くと、デュランが疲れたような、怒ったような表情で螺旋の道を登って来た。
彼はきちんと鎧を身に付け、剣を手にしている。
「何々だよ、今の光は?」
「あれは・・・」
口篭もって、ホークアイはリースに視線を移す。
彼女は立ち尽くしたままだ。

「あっ」
「え? どうした、リース!」
ふいにリースが声を上げ、デュランとホークアイは慌てて彼女に駆け寄る。
リースは驚いたように空を見上げていた。
デュランとホークアイも、リースの視線を辿ってみる。
「!!」
二人の目が驚愕に見開かれた。

青く澄んだ空を、4枚の翼を持つ獣が1匹、気持ち良さそうに泳いでいるのが見える。

しばらくの間、3人は声も出せずにそれを見つめていた。
「あれは?」
「翼あるものの父の、子供ですよ・・・」
夢見心地にリースが云う。
確かに先ほど横たわっていた聖獣よりも、その体は一回りも小さい。どう見ても子供だ。
「そっか、子供がいたのか・・・。じゃあローラントの守護神はまだまだ健在ってわけだな。良かったじゃないか」
「はい!」
ホークアイの言葉に、とびっきりの笑顔でリースは頷いた。


聖獣は光となって弾ける前に、ホークアイに記憶を戻してくれた。
もしかすると、彼はずっと待っていたのかも知れない。
風の乙女の願いを、聞き届けるために。


「リース、ローラントに帰ろう。そして、旅を続けようぜ」

「ええ、行きましょう」






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〈コメント〉
はあ、長かった・・・。
この話を書いた後、なんで翼を持つものの父を死なせる必要があるんだとか思いました(笑)。
別に、死なせることなかったんですよねー(苦笑)。
次回でようやく終わりです。



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